
不動産中央情報センターのトップインタビューに掲載された
記事をこちらに転載します。
この観山ビジネスサロンの代表でもある川畑社長が
観山荘の歴史、これからの抱負などについて
話しています。
どうぞ川畑代表の思いを聞いていただき、
ぜひ会員になってもらえたらと願ってます。
少し長いので、分割してご紹介します。
まずはパート1をお読みください。
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御社の歴史からお聞かせいただけますか。
川畑氏:始まりは祖父が開いた商店でした。
祖父は職業軍人でしたが終戦を迎えて職を失い、
何かしなければという時に、祖母の家が国立小倉病院
(現在の小倉医療センター/小倉南区)の目の前だったんですね。
当時の病院は病院食の提供がなく、入院患者の食事は家族が院内の
共同台所でおのおの作っていたそうです。
そこで祖父は自宅の立地をいかして、病院で料理をする人のための
食材販売を始めました。
近隣の農家から野菜、唐戸市場から魚介類を仕入れて、
家で養鶏して玉子も売って。
そんな商店を8年ほど続けていると食材の目利きができるようになり、
また当時は出張者向けの宿泊施設が少なかったので料理と宿泊を提供する
旅館をやろうと。
そうした考えから昭和29年(1954)に割烹旅館「観山荘」(現観山荘本館)
を開業しました。
■商店、割烹旅館が原点とは存じ上げませんでした。
料亭「観山荘別館」はどのような経緯で創業されたのですか?
川畑氏:別館は父が創業しました。
父は長男なので大学卒業後すぐ本館に入り、
料理人として働き始めました。
祖父が立ち上げた本館は個人経営でしたが、
父は法人化への想いが強かったようで、昭和56年(1981)に
株式会社観山を設立して独立。
翌年に現在の料亭「観山荘別館」をオープンしました。
■2代目のチャレンジであり、振り返ってみると大きな転機ですね。
川畑氏:そうですね。父は大学時代に調理師免許を取ったのですが、
実は教員免許も取得していたんです。
それで、縁あって当時の青山女子高校(現在の星琳高校/八幡西区)が
調理科を設置する際に立ち上げのお手伝いをさせていただいて。
すでに料理人として20年近いキャリアがありましたし、
教員免許もあったので一時期は教壇にも立っていたんですよ。
そんな父が次にチャレンジしたのが福岡市への進出でした。
パート2へ続く