2020/01/31 12:02
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この記事は、ヤフーヘッドラインに登場した
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で話題 
明智光秀が敗死しなければ「明智幕府」は誕生していたか?

について、検証します

下記については完璧に同意です!

>光秀叛逆の動機や原因については
>怨恨説、野望説、室町幕府再興説などのほか
>さまざまな奇説・珍説などが横行しているが
>いずれも決定的な確証はない。
*上記ヤフーヘッドライン記事より原文引用


いずれも決定的な根拠確証がなく
理路一環とした推論もないのにも関わらず
都合よく解釈した史実なるものを掻きまわし
論証したという主張には腹が笑う


下記については完璧に同意です!

 >室町幕府再興のためというのは、少々
>うがちすぎている。信長殺害後には
>そうした正義を標榜したかもしれないが
>光秀の過去の行動からすれば本心とは
>思い難い
*上記ヤフーヘッドライン記事より原文引用


光秀は相当な自信家だったと思える
そして諫言どころか虚言、戯言の名人で
バレそうになると人前で大泣きしてでも
誤魔化したというのが真相ではと思える
そのキャラを立てると人情派のお涙頂戴の
正義の味方というストーリーには笑える


下記については完璧に同意です!

>立身出世を夢みて朝倉から義昭に鞍替えし
>義昭の将来を見越せば素早く信長に走り
>しかも隙あれば主君信長をも殺したような
>光秀の本音などは計り知れない
*上記ヤフーヘッドライン記事より原文引用


上記が光秀の実態だと思える
ところが本能寺の直後からの光秀の
自分を失ったような狼狽ぶりと
自暴自棄に似た焦りが理解を超える


下記については完璧に同意です!

>光秀が9日付で細川藤孝(幽斎)に送った
>自筆覚書の中でも、50日、100日のうちに
>近畿を平定するといっている
*上記ヤフーヘッドライン記事より原文引用


これは・・・

>織田の重臣たちが出払っている今
>信長を殺せば周囲の諸勢力は光秀に靡き
>畿内平定ができると考えていたらしい
>ところが期待に反して人々は動かなかった
>光秀は意外な反応に狼狽(ろうばい)し
>焦燥にかられた
*上記ヤフーヘッドライン記事より原文引用

>同じ9日、光秀は洛東吉田社の吉田兼見を
>訪ねて、朝廷に多額の金子を献じ五山を
>はじめ大徳寺・妙心寺などにも銀子を寄付し
>洛中市民の税をも免じた。むろん歓心を集め
>自己の立場を有利に導こうとしたのである
>だがそれでも世間は動かなかった
*上記ヤフーヘッドライン記事より原文引用


天下の謀反を起こしたのだから
大将は動じずにデンと鎮座する覚悟が
光秀には皆無で、ひとりでアチコチを
走り回っていたというから狼狽は
相当なものだったと思う

この原因は、単なる自信過剰で
人々の反応を読み違えたことなのか?
朝廷からの対応に疑心暗鬼に陥ったのか

狼狽していたのは、光秀ひとりでなく
朝廷側も相当な狼狽ぶりのようで
光秀に今日の治安を宜しくと書状は
送ったものの
誰が京を治め、天下を治めてくれるのか?
朝廷はあちこちの有力武将との
距離感の保ち方に苦心していたようだ

秀吉が大軍を率いて迫ってるとの報に
山崎への出撃を命じたのは光秀自身だ
そのとき腹心の斎藤利三が状況不利にて
坂本および安土の城にて秀吉を迎え撃てば
時が稼げる結果~有利に動くとも
進言したようだが光秀は主殺しの悪評は 
消えないと斎藤利三を山崎の先鋒隊に
命じたのは自暴自棄どころか自滅に
走ったのではないだろうか?

現に、光秀は叡山とも良好な関係を
保っていたようだし、叡山ー坂本ー安土と
1万3千の兵で布陣籠城すれば秀吉4万の
兵でも一朝一夕には落とせず~そのうちに
信長の死滅も世間に知れ渡り山崎の合戦
のような秀吉一方的に有利という形勢は
崩れている

当時、秀吉には朝廷とのパイプはなく
しかし光秀にはあったので、いざとなれば
信長の十八番、天皇の命での和議を図るか
まずは鳥羽伏見の戦いのような錦の御旗を
光秀軍が掲げれば形勢は逆転する
また、光秀なら鞆の浦にいる足利将軍の
義昭を抱き込めば名目も立ってくる

足利将軍義昭は秀吉が豊臣の氏を朝廷から
下賜されたときに征夷大将軍の官位を
返上しているが光秀からの誘いがあれば
再び手を組んだと思う。そうすれば光秀の
主君殺しについても室町幕府復興の正義と
しての大義名分が天下にまかり通り
この手でも逆転は十分に可能だ

冷徹で頭脳明晰な光秀の本能寺の後の
動きが、どうにも解せない
下剋上の時代、光秀幕府なんて戯言は
到底あり得ないし、織田幕府??なんて
のは戯言にもなり得ない
まるで秀吉に操られた秀吉政権樹立の
人形のように映る

秀吉軍は山崎の後、光秀の首などろくに
見ずも光秀縁故は徹底して追い詰め
皆殺しにしている

奇跡的に助かったのが斎藤利三の実娘
お福(後の春日局)であり、四国の
長曾我部に匿われた結果である
ガラシア夫人も細川忠興の計らいで
丹後半島の山奥に隠ぺいされたがため
の命拾いである

光秀は当初から家康を担ぐ腹では
なかったのだろうか?


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