令和2年を迎え~NHK大河ドラマが
放映以来初の謀反人でクーデターの主犯
明智光秀を主人公に、しかも麒麟がくると
タイトルされた幸福な時代を呼ぶという
麒麟に光秀を例え、過去定着してきた
光秀像が180度一変するドラマが始まる

NHK大河の影響で
昨今は光秀関連の書籍が山積みされ
従来からの光秀像が徐々に変わりつつある

現在の主流は小和田哲男著の明智光秀・秀満
(ミネルバ書房刊)で天才的な革命家で
傲慢な独裁者である信長にかしずく
光秀像であり、信長の非道を阻止するのが
本能寺の変であったとする説だ

多分という予測だけど
NHKの大河ドラマは、この線の光秀が
描かれると思う

ところが、さらに発展した光秀像も
次第に浸透しつつある
それは光秀こそが信長を操り見限った
という説を唱える乃至政彦著、信長を
操り見限った男 光秀(河出書房新社刊)
である

光秀の研究が進むにつれ
明智光秀像がダイナミックに変化を
始めてるのだ

今後、さらに光秀像が変化し
その影響で信長像すら書き換えられる
ほどの流れを感じる

光秀とは、それほどまでに
謎に包まれた、今日なお生きている
ほどの異彩を放つ魅力ある人物だ

過去の光秀像は
天才で独創的で革命家の信長~
半面、非情で残忍で冷酷で非道で
傲慢な独裁者の信長の陰に隠れて
必死に真面目一徹に尽くすイメージだが
光秀を調べるに従い・・・
信長像と光秀像の逆転現象が
始まってくるのだから不思議だ

光秀が歴史に登場するのは
信長と会ってからだ(*実は信長と
光秀は互いに無名の頃から京で
たびたび会ってたという説もあるが
定かではない)

その後、およそ10年余り
光秀の名は惟任日向守光秀として
歴史の登場して華々しく活躍し
本能寺で消える

信長はといえば~
多く信頼を集めている信長公記による
桶狭間の戦いで戦国時代に華々しく
デビューしたことになってるが
その桶狭間の戦いの信ぴょう性が
急速に怪しくなっている

実は著者の太田牛一が信長熱に
逆上せすぎて年代を10年ほど
早めたと言われ始めてる

この意味は~
今川義元の軍勢に影響はないが
信長がこの10年で大きく成長している
ことだ

10年前なら今川軍2~3万人に対して
信長軍3000、せいぜい5000止まり
だが10年で信長軍2万人に成長しているのだ

つまり今川義元は今を逃せば信長を討てない
と焦って進軍したのに対して信長は悠然と
迎え撃ったのだ

両軍対峙するように正面攻撃の正攻法による
合戦に信長軍が勝利した
これでは信長の天才性や革命家という
特筆が演出できなくて戦の年代を早めた

信長は、その後、美濃攻めに10年かかっている
つまり終わりの田舎侍から天下の中心、美濃の
城主になるまでに20年かかり奇襲戦や独創
的な戦法は用いてない成り上がりの戦国大名に
過ぎない

実際に信長が天下にデビューするのは
その後の足利将軍、義昭を擁立してからであり
意味解釈はともかくとして天下布武という
印を用い始めたのも、この頃である

この頃に義昭が三好一派に奇襲された時なども
手勢わずか50騎か100騎を引き連れ
先頭に立ち走りに走り京まで駆け付け
無我夢中で奮戦している

育ちのいい田舎者のボンボンが
純情一徹に激闘している従来の信長像とは
裏腹なのが実情ではないだろうか?

信長が天下にデビューしたのも
光秀と会ってからで
その後の10年余りで本能寺で消えている

特筆すべきは信長の戦法が過去の
20年の正攻法から光秀と会ってからの
10年は非凡で非情で合理性と独創性に
飛んだ戦法に変わっていることだ

つまりは、天下を相手に孤立奮闘した
信長の10年は光秀と表裏一体だったと
いうことになる



光秀は生きていた・・・関ケ原の合戦の後、徳川幕府誕生に尽力し江戸城及び城下町の設営を風水で設計し、徳川三代を実効支配し天寿を全うしている
https://community.camp-fire.jp/projects/210903/activities/109857

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