
今年もあと10時間余りで過ぎようとしてます
本当に早いものですね~
加齢による時間が早く感じる原因は
経験の積み重ねで生活に感じる
刺激が減ってるからだといいます
いわゆる生活のマンネリ化が
時の流れを早めるようで
思い返せば、子供の頃は見るもの聞くもの
好奇心の塊だったようにも思えます
・・・皆さんの日々の生活は
いかがお過ごしでしょうか?
若い人~というのは
年齢に関係れなく、いつも恋をしていたり
いつも夢や希望に輝いてる人が多いですね
若さの秘訣とは
そんな刺激に満ちた日々の生活なのかも
知れません
それは日常のルーティンワークでも
日々創意工夫で新しい方法を試行錯誤する
ことかも知れません
さて、我が家の恒例行事の日です
毎年、大みそかには、どこかの寺に
除夜の鐘を突きに行きます
10年ほど前の年末年始は
大家族で小旅行してました
そんな折でも近くの寺を探して除夜の鐘を
突いてました
元々は関西人ですので
最初は京都に1泊ほど出かけ
師走の京の風情を味わい
年越しそばを食べ
鐘を突くのが1年を締めくくる
行事でした
すでに40年ほど前のことで
京の由緒のある有名な寺でも
そんな変わり者はいかなったので
実にのんびりと風情を味わってました
ところが10年もすると
いつの間にか同好者が増え
有名な寺では100人も並ぶという
事態になり次第に小さな寺、そして
地方の寺という具合に、毎年、寺を
換えて突いてます
明智光秀の居城があった
坂本にも2度ほど、除夜の鐘を
突きにいってます
甘酒とぜんざいをふるまってくれた
寺もありました
年の瀬といえば忠臣蔵
赤穂浪士の討ち入りですね
これも江戸中期の元禄時代に人気があった
出し物で何度も何度も下作が書き直され
今日では完成してます
・・・が敵役になる
接待指南役の吉良上野介は
歴史的悪役の代表格ですが・・・
知行地の三河では今日でも
たいへんな名君として尊敬を集めています
吉良家の子孫も数多くおられるのですから
毎年12月の忠臣蔵の季節には
どのような思いが過っているのでしょうか?
明智光秀が正義となるとき
同時に織田信長が悪となります
この構図は同じで、吉良上野介が
正義となるとき浅野内匠頭は
悪となります
浅野家といえば
広島安芸国の城主で福島正則が改易と
なったあと新城主として名君の名を馳せ
幕末に至っても独自独特な立場で
時流を大きく支えたほどで
その分家が赤穂の浅野家です
大石内蔵助も、この幕閣内でも有力な
安芸浅野家がなければ最初から赤穂
浅野家の再興など考えずに済んだものの
非常に複雑な情勢立場の中で最後には
決行した討ち入りです
明智光秀は子孫のひとりが
綿密なデータを整理し数多くの出版をなし
悪党光秀の名を払しょくに向ける大きな
足跡を残しました
討ち入りの際の陣太鼓
歌舞伎や映画にも登場しますが
山鹿流という流派です
江戸期の兵法学者で
赤穂の指南役を務めた後
長州に流れ吉田松陰の兵法にも
大いに影響を与えてます
長州人の議論好きは山鹿流の影響から
かと思えます
吉良家討ち入りは幕府が赤穂浅野家の
再興を認めなかったのが直近の原因で
その時に鳴らされた陣太鼓が山鹿流です
160年の歳月を経て
長州をして大政奉還に及んだと
捉えると何か歴史の醍醐味やロマンを
感じえずにはおれません!!
光秀は生きていた・・・関ケ原の合戦の後、徳川幕府誕生に尽力し江戸城及び城下町の設営を風水で設計し、徳川三代を実効支配し天寿を全うしている
https://community.camp-fire.jp/projects/210903/activities/109857