様々な大人たちが集うカウンター席。最近は優しげな外国人客も常連化しています
「通学路」上にある最大の関門。飲み会の帰りにもつい寄ってしまう酒場
東京駅から地下鉄東西線の大手町駅に乗り換えて5分。門前仲町駅に到着する。電車の進行方向にある1番出口を上がると、そこは深川不動尊の参道だ。少し離れたところには「江戸最大の八幡様」である冨岡八幡宮があり、日中は曜日を問わず参拝客で賑わっている。
立地も交通アクセスも良いこの町には大小の企業もあり、スーツ姿の人も少なくない。一方で、住民の多くは富岡八幡宮の例大祭で結束しており、東京というより江戸のど真ん中という雰囲気が漂う。にぎやかで、人間味もある町なのだ。
「東京の西はどうも好きになれない。やっぱり本物の東京は東。実(じつ)がある気がする」
ちょっと古風な性質の妻がつぶやく。愛知県で家業を継いでいる彼女が東京での滞在場所を門前仲町にしたのは15年ほど前。営業担当でもあるので東京出張は必須。取引先企業へのアクセスも良く、何よりも飲食店のレベルが高いこの町に滞在先を定めるのに迷いはなかったらしい。7年前に彼女と結婚した僕も引きずられるように門前仲町に滞在することになった。
僕は「東京の西」に広がる武蔵野で生まれ育ち、独身時代は長く杉並区に住んでいた。「東京の東」はアウェイだ。お祭りや相撲が盛んな地域だけど高齢化が進んでいる、というイメージしかなかった。銀座より新宿のほうが落ち着くし、浅草には観光で数回行った程度。門前仲町などは訪れたことすらない町だった。
しかし、月に10日ほども滞在すれば、少しずつ町を知るようになる。妻が独身時代から通っている飲食店は確かに実がある。味はちゃんとしているのに値段はリーズナブルなのだ。そんな店には必ず常連客がついている。
燻製バル「KoO(コオ)」を見つけたのは必然だったとも言える。僕たち夫婦の滞在先である古いマンションは1番出口から北東方向に徒歩10分ほどのところにある。どの道を通っても途中に魅力的な店がたくさんあるが、KoOは特別な光彩を放っていた。人見知りな僕も温かく迎え入れてくれる何かを感じたのだ。
KoOの魅惑的な店構え。1、2階が店舗、3、4階が小川夫妻の住居、5階が燻製ルーム、屋上で燻製を風乾している
個人経営のお店には店主の人柄と能力がそのまま反映されていると思う。だから、店主のことをもっと良く知り、好きになったら、いつか僕も(この文章を読む人も)その店の良き常連客になれるかもしれない。木曜日のランチタイムの後、KoO店主の小川興次郎さん(66歳)に時間を作ってもらった。
飲食が大好き。料理を食べてもらうのも好き。でも、自分は正統派の料理人じゃない
――開店したのはいつですか?
平成26年10月です。そろそろ5周年ですね。
――それまでは畑違いの分野でサラリーマンをしていたんですよね?
はい。大手IT企業系列のソフトウェア開発・販売会社で役員をしていました。64歳まで在籍していたら退職金が出たのですが、61歳で退職して開業しました。体力的に最後のチャンスだと思ったからです。
何事にもタイミングがある気がします。自分が「いけるな」と思ったときが「いき時」なのです。自分は店をやるものだとは若い頃からずっと思っていたことですけど。
俳優の江本明に似ていると評判の店主・小川興次郎さん。料理中以外ならばきさくに会話してくれます
――なぜ若い頃から始めなかったのですか。
九州から上京して美大に入り、中退をした頃、日本はバブル景気に入りかけていました。僕は兄貴がやっていた不動産会社を手伝うようになり、マンションが面白いように売れて、ものすごく稼いで、遊んでしまったんですね(笑)。店をやることを忘れていたわけじゃないけれど、「店はいつでもできる」と思ってしまいました。最初の結婚が5年間で終わったのも僕が遊びすぎたせいです。33歳のときでした。反省しています……。
――その離婚がなかったら、由美さん(現在の奥さん)という名物ママもいないし、KoO自体もありませんよね。だから、あまり反省しなくていいと思います(笑)。前職のソフトウェア会社の前は、飲食店開発の会社で働いていたそうですね。
そうです。フランス、イタリア、スペイン、中華……。様々な分野の飲食店を企画して出店する店でした。僕は新規開店の実務を担っていたので、酒からBGMまで、店の仕事はこの10年間で覚えました。
料理は子どもの頃から好きです。九州にはいろんな種類のラーメンがあるので、それを再現したものを親兄弟に食べてもらっていました。でも、どこかの厨房で下働きをしたわけではないので、自分を正統派の料理人だと思ってはいません。
どちらかといえば、「こういう店を作る」というディレクター的な気分があります。料理するときは全神経を集中させていますが、一方では「まだちゃんとしていない」という冷静な目もあります。由美さんからも「盛りつけが平面的」なんて指摘されますからね。
――奥さんという存在はどの家庭も厳しいですよね。言ってほしくないことを的確な表現でスバっと言いますから……。ええっと、料理の話でした。様々な料理ができる小川さんがなぜ燻製を選んだのですか。
僕は子どもの頃から燻製が大好きです。九州には魚の燻製が多いし、ベーコンやハムをご飯のおかずにしていました。いまの燻製ランチの原型ですね。
燻製は作ることに手間暇はかかりますが、営業中は切って出すだけ。早くつまみが欲しいお客さんを待たさずに済みます。
うちはお客さんのニーズにこたえてパスタもやっています。でも、僕は手抜きの業務用パスタは嫌いで、乾麺から茹でたい。すると、2口しかないガスコンロがふさがってしまうのです。どうしても時間がかかってしまい、申し訳なく思っています。
今後は燻製の種類をさらに増やして、バー的な要素を強めていきたいですね。お酒とコミュニケーションを楽しむ場にしたいです。
売り切れ必須の燻製ランチ。これで950円。お値打ち! ランチは木曜のみ営業です
ある日の夜メニュー。燻製はもちろん、アヒージョなども素晴らしい味。ワインがとまらない!
自分が毎日通いたい店になっているか。そのために何をすればいいのかを日々考える
――KoOはすでにお酒とコミュニケーションが楽しめる場ですよね。カウンター席は人気で、社会人サークル化しています。
そう言ってもらえるのが一番うれしいですね。店をやっていてよかったと思います。お酒を飲んで本音をはけるような場所、また来たいと思ってもらえるような店を作りたい。自分が近隣住民だったら毎日通いたい店になっているかな、そのために何をすればいいかな、と考えながらやっていますから。
――料理がおいしくてお酒もちゃんとしているのはもちろんですが、KoOはお客さんも気持ちのいい大人が多いですよね。小川さんやスタッフの方たちに加えて、常連さんたちとしゃべりたくて、僕もついKoOに寄ってしまいます。
お酒が入る場所なので多少のことは許されていいと思います。僕も口うるさい「頑固おやじ」ではないつもりです。
でも、他のお客さんに迷惑をかけるような節度のなさは困ります。酔って女性のお客さんにからむような客を「帰ってちょうだい」とはっきり言ったこともあります。そういうときは「悪いけど」なんて言葉を付けません。
自分の話ばかりを一方的にするようなお客さんにもそれとなく注意することはありますよ。店の雰囲気づくりも大切ですからね。店主がYESマンでは店の個性は保てません。
――最後に、KoOはどんなお店でありたいかを聞かせてください。
お店なのだけど自宅のリビングのような、仲間といつでも会えるような場所ですね。主婦の方でも給料が安い若者でも気軽に来てほしい。だから、安心して飲める値段にしています。
飲み会の帰り道に一人で寄って「今日は1杯だけ」でもいいのです。むしろ、それがいい。毎日でも来ていただきたいです。
以上が小川さんとの会話の一部だ。燻製の作り方なども丁寧に教えてくれたが、それをここで書くと無粋になりそうなので割愛した。ぜひKoOに訪れてお酒と一緒に味わってみてほしい。小川さん自身と同じく、真面目なのに色っぽい味がする。
色気とは現役感のことだと僕は思っている。61歳で開店した小川さんだが、「定年退職後に趣味で始めた店」のような隠居感は皆無だ。意欲的で、自分も楽しみながらも常に客席に目を配っている。だから、爽やかな色気が店内に漂い、日中はそれぞれの現場で懸命に働いている老若男女の憩いの場になっているのだ。次の上京日にもKoOを訪れたい。
また別の夜のカウンター席。左から二人目が美しい由美ママだが、動きが高速すぎてカメラでは捉えられない