大学卒業後、東京で働くが、父親の「これからの零細農家は先行きが厳しすぎるから、120年続いた農家だろうがなんだろうが関係ない、帰ってくるな。」という大反対を押し切り、36才で継ぐことを決意。生まれ育った静岡が大好きで、周囲のお茶農家が次々と廃業していく中、霧立ち上る美しい山峡の茶園を守りたい、と挑戦を続けている。
標高450メートルの山奥で、安心しておいしく飲める無農薬のお茶を作るため、自然由来の肥料を独自に作り、日々伸びる雑草と戦っています。お茶工場の設備費用を貯めつつ...
オーガニックでもおいしいお茶やお米を作るために、自然由来の肥料を独自に作り、日々伸びる雑草と戦っています。しかし取引価格の低迷が続き、土木工事のアルバイトをしな...
オーガニックでもおいしいお茶やお米を作るために、自然由来の肥料を独自に作り、日々伸びる雑草と戦っています。しかし取引価格の低迷が続き、周りのお茶農家は次々と廃業...