こんにちは、東京八王子でコミュニティ/オーガニックビーガンカフェTerra小屋ドゥニヤを運営しているAloha Buddha Visions代表の清水です。 約50年間、東京の霊山・高尾山の麓で憩いの場を開き続けた伝説の女将・加代さんの思いを次世代へと引継ぐ為、私(代表の清水)が任命されたのは今から2年前の春のことでした。 離婚をきっかけに元旦那の住む地元・伊豆を離れ、当時3歳の長女を連れて、小さな軽自動車に詰めれるだけ荷物を積んで、友人家族の住んでいる高尾に移住しました。 友人家族の援助のもと、2ヶ月後にはなんとかアパートを契約して新居を構え、国立東京外国語大学の国際部での仕事もスタートすることが出来ました。 しかしながら、友人が数人いたとは言え、新天地でシングルマザーとして1から生活をスタートさせることは容易ではなく、毎日が時間との戦いでした。 週5日、朝は8時から夕方19時まで保育園に子どもを預ける。 仕事が終わるとすぐに電車に飛び乗り、降りた駅から、自転車で迎えに行く。 家に戻ったら夕飯の支度をし、食べて、風呂に入ってすぐ寝る、という分刻みの毎日。 休みの日には精神的にも肉体的にもくたびれて、何も出来ないということもしばしば。 私は一体何のために働いているのだろう? 何のために生まれたのだろう? 子どもが可愛い盛りの、二度と戻らぬこの時期を、職場で過ごして幸せなのか? そんな問答を日々繰り返していました。 それから数ヶ月後、勤めていた大学を辞めて、自分の時間で好きに出来る仕事がしたいと思っていたときに、当時住んでいたアパートの隣の店舗が、テナント募集をしているのを発見しました。 早速シャッターに記載の電話番号に連絡をして内観をすることにしました。 体調を崩されて入院中だという加代さんの気配すら漂わせる店内は昭和そのもので、タイムマシーンに乗ったかのよう。 廿里町の小料理加代で人々が笑い涙し語らった50年間の歴史が真っ黒なシミとなり床や壁にびっしり染み付いていました。 不思議なインスピレーションを感じた私は居ても立っても居られず、後先も考えぬまま賃貸契約をすることになったのです。 大家さんをはじめ近隣の加代さんを知る方々から数々の伝説を聞き、加代さんが気っ風の良くとても豪快で愉快な女将だったこと、また男女を問わず地元のお客さんから登山客まで、沢山の方々が小料理加代を心の拠り所にしていたことを知りました。 後日、私がテナント契約をしたこの日に、加代さんが天に旅立たれたと聞きました。 ”後は頼んだよ、、、”と言わんばかりの加代さんからの強烈なメッセージと一連の流れに、とてつもない運命と壮大なビジョンを感じました。 小料理加代とあるしなびれた看板と、バーカウンターはそのまま残し、残りの部分は大工さんによる必要最小限の内装工事。プラス友人たちの力を借りてDIYを施し、早々とカフェ営業を始めることとなりました。 外国語大学で海外50カ国以上の国から招聘された教授や、研究者や在日大使館や政府関係者のサポートをしていた私は、様々な国や文化の価値観に触れることで、私たちの住むコミュニティがよりカラフルで豊かになるようにと願い、西アフリカの言葉で[世界]を意味するドゥニヤという名前をつけました。 これが、世界中の人たちが地球のもとに繋がる、みんなのコミュニティスペース・ドゥニヤの始まりでした。 ▼これまでの活動 あれから早いもので2年が過ぎようとしています。数々のトライアンドエラーを繰り返し、今ではBUDDHA BOWL(ベジタリアン丼)、中東料理(ビーガングルメのファラフェル)、チベット料理(モモ・一部動物性あり)、れなりモーニング、ローフード(ビーガン)、いただき繕(ビーガン)、など多様な食の提供を始めました。 その他以下のようなイベントも作り続けてきました。 アートセラピー、発酵食作り、味噌作り、マッサージ教室、料理教室、ライブ、瞑想会、ゲームの会、蜜蝋で作るエコラップ作り、折り紙ワークショップ、ママのお悩み相談室、チクチクの会、オルゴナイト作り、xChange、ibマッピング、託児、ヨガ、エステ、整体、ヒーリングセッション、お話会、オカマバー、パーマカルチャーや非暴力コミュニケーション(コネクション・プラクティス)などの勉強会や実践会、アクセスバーズのギフレシ会など。 また、大阪の老舗カレー店・ガネーシュの出張営業や、同ビル内の人気店、イマココカフェ杜丸とふたこぶ食堂との共同主催「トドリマチワンダーランド」を2日間開催。 一緒にイベントを立ち上げるドゥニヤファミリーも10名に達しました。
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