2020/02/09 13:29
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*この記事は、つぎの記事
明智秀満や斎藤利三など
光秀に付き従った「明智家臣団」

を参照してます

下剋上といわれる戦国大名は
一代で伸し上がった武将も多く
しかし、一方では、地縁血縁の結束強固な
家臣団の上に乗っかる大名もいる

武田信玄と徳川家康の基盤は
非情に似ている
地縁血縁の結束が強固で
殿様が不適格と見るや家臣団が
殿を切り捨てたり追放して
見込みのある跡取りを主君の座に据える

信玄も家康も、当初は
いつ家臣団に殺されるのか~日々、恐々と
針のむしろに座る想いで家臣団の統率に
並々ならぬ努力と工夫が実った暁に
圧倒的な家臣団の結束が最強の組織力を
発揮している

信長が家康の暗殺を計画したとする
説の裏には織田軍団に欠ける家康家臣団の
圧倒的な結束力の将来を恐怖した背景が
伺える

織田軍団というのは~
信長の無限に広がる野望とカリスマ性により
統制されたため、信長という圧倒的な
カリスマ性を欠いた軍団は実にもろかった

それは尾張という織田家の地盤があってもの
ことで、信長流の統制順を踏襲した秀吉は
人使いの天才で一介の百姓のこせがれが
わずか20年30年の間に直属の大軍団を
築いたのも優秀な人材をスカウトし
使いこなした秀吉の天才性のなせる業だった
が、如何せん信長と同じく秀吉という
異才なカリスマ性により統制された組織は
信長と同じく秀吉というカリスマ性を欠くと
組織人は恩義よりも自己の地位立場の保身
のためにもろくも崩れ去っている

その長たるものが明智軍団
光秀こそ、わずか10年余りの間に
織田軍団最大の組織を配下に収めたが
光秀に地縁などなく血縁もない

織田軍団の方面司令官として
配下に収めた地域の有力武将を
つぎつぎと家臣にした、いわば
烏合の衆

しかも光秀への忠誠心というよりも
むしろ、織田軍団というバックボーンが
効いていたため光秀への忠誠心は薄かった

山崎の合戦で光秀軍は当初1万6千で
秀吉軍を迎え撃ったが4万を超える秀吉軍に
勝ち目はなく敗走が相次ぎ最終的に700に
激減したというのも頷ける

光秀軍の主力家臣に明智姓が多いのは
美濃明智出身者ではなく光秀みずからが
明智姓を授けていた

また光秀軍団には足利幕府に仕えた
幕臣組と美濃出身者による美濃組がいる
幕臣組は、元々、光秀の上司筋で
状況に応じて光秀の臣下についているため
結束力は弱い

また、美濃組にしても明智出身者で
固められている事実はなく信長配下の
美濃宗が光秀に収まっているに過ぎない

その点、徳川家臣団の結束力は天下に
鳴り響き、その結束力が徳川300年の
礎を築いたと言っても過言ではない

現に徳川幕府の体制は~
ひとりのカリスマではなく
幕閣の合議制による組織運営そのものの
底力による


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