2020/02/03 22:06
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今回もヤフートップに掲載された
明智光秀が築いた福知山城 
仰天の「転用石」から見える“信長との
距離感”とは?

を参照に検証します


今回は、まず、参照した原文を読んでいただきたい
理由は、文章の概ねは賛同できるのだけど
背景というか根本に見える視点が絶対的な
違和感を覚えるのである

原文は、信長という主君がいて
その主君に完璧に信奉する光秀が
何から何まで真似しているという視点で
すべてが書かれている

・城造り・・・然り
・城下町づくり・・・然り
・石垣づくり・・・然り

確かに光秀は本能寺の1年前に
家臣に向けて一介の素浪人の光秀を
取り立て、ここまで引き立ててくれた
信長への恩は子孫まで忘れることができない
とまで訓示めいているが、その中身も
事実なのだけど・・・

信長の特異な個性的な手法は
出来ると見込む人材には
大きく譲歩して、すべてを任せて
やらせてみる手法だ

やらせて~いいところは、つぎつぎと
盗み他に真似させて技術知識を共有する
手法は組織経営に実に巧みだ

信長の安土城はまるで信長の独創性そのもの
のように思われがちだが、実は、光秀が
先に築城した坂本城をそっくりそのまま
真似ているのが事実

街づくりにしても、確かに福知山城および
城下町は安土城およい城下町よりは遅いが
秀吉に任せた長浜の町造りを信長は真似て
楽市楽座の発想は秀吉から盗んでいる

安土城の石垣の石組は穴太積みという
独特な手法で組まれているが穴太衆は
光秀に任せた坂本城下にいた職人集だ

叡山麓の坂本には今日でも多くの寺社があり
城下は見事な石垣と水路で造られている
この石垣はもちろん穴太積みなのだ

つまり光秀が信長の真似をしたのでなく
逆に信長が光秀の真似をしているのが
真相ではないのだろうか?

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