2020/02/12 16:26
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今日が太平の世であるためなのか
戦国時代の小説やドラマが大流行だ

同じく戦国時代の活劇が流行った時期がある
それは江戸270年の中ごろ、元禄時代
大衆文化が華咲いた時だ

江戸幕府が始まり
3代将軍家光の時の島原の乱が治まり
世情はようやく戦から解放される

その時から70年が元禄時代
そして今日も敗戦から70年~
日本という社会は70年の平和を味わる
と戦いが恋しくなるのだろうか?

殺し合いを知らない人々が
戦国の戦を語るのに、または聞き入るのに
違和感すら感じえない不思議は極楽とんぼ
という証なのだろうか?

30年ほど前だったと思う
戦国大名の人心掌握術を今日の企業経営に
活かそうと流行ったことがある

これは正に真なり!!

組織経営で俗に言われるのは
200名までなら社長の個人的な能力
ひとつで会社を発展させられる

それは普通の人間でも200名なら
全員の顔と名前を覚えることができ
毎日顔を会わせることで即座に
調子の善し悪しや満足とか不満不平が
判断でき、対応もすみやかに実施できる
ので組織も活性化でき繁栄するという訳だ

ところが500人になると
とてもじゃないが組織運営の専門技術を
活用しなければ組織は崩壊すると言われる

つまり会社運営と一言にいっても
100人200人の会社経営と1000人
2000人の会社経営では完璧に世界が違う

さて、戦国時代の終盤に近付くと
織田軍団の各方面師団長クラスで
万人という組織マネージメントを要し
他の戦国大名も万人という組織マネジメント
が強いられていた

今年のNHK大河は明智光秀を主人公に
据えたことで一挙に光秀ブームに火が付き
関連書籍の出版数もうなぎ登りで
戦国談議が花盛りなのだけど・・・どうしても
拭えない陳腐感は!!!

戦という武力衝突について
無知な人々が・・・
また、組織運営について
体験すらない人々が
本を書いたり、講演する~
それを読んだり聞いたりする人々も
戦について、組織運営について
無知未経験で感動する

皮肉には無知未経験同士だから
話が合うのだろうけど、この様に
基本に無頓着なのが今日の日本社会
そのもののようで気味が悪い!!


さて、カリスマ性を発揮して
組織を拡大し、そのカリスマ性がゆえに
組織崩壊させた代表格が織田信長だろう

歴史物で断トツの人気者は織田信長・・・
そのカリスマ性は今日なお生き続けている

その理由は、他の戦国大名とは個性が
違い過ぎるほど最初から最後まで独創性に
溢れている

まず、当時の大名経営の原資はコメ
領地のコメの取れ高で財力を示し
そのコメで家来を雇い、そのコメで戦をし
ていたが信長は、唯一、そこからして違う

信長の原資は税収
支配下にあった当代一の貿易港、津の商人から
集める税収だった
後に強引にも堺を支配した理由は津から堺へと
日本一の貿易取引高が移行した背景がある

実は、信長ほど負け戦の多い戦国大名は珍しい
普通は負けると財源的なダメージが大きく
再起にも時間がかかったが信長は違う

津にいきあがりを増やせばいいだけだから・・・
常に潤沢な資金力で戦に臨んだ信長を悩ませた
課題は人材育成と組織開発

尾張を統一する前から信長は
他の諸侯よりも高い給与を保障しても
人気が乏しい故に人材が集まらない
かといって一兵卒に法外な報酬なども約束できない

戦国時代、下剋上とはいっても封建社会
年功序列という常識を破壊し
能力あるものには出世を約束するというのが
その答えだった

そして羽柴秀吉、滝川一益、明智光秀を
発掘し活躍させ異例の出世を見せつけて
口コミによる人材募集の手法で成功している

信長のカリスマ性を最初に見限ったのは
光秀だった、時同じく秀吉も見限っている
理由は織田軍団は信長ひとりのカリスマ性に
より統合されているため、信長亡き後の
織田軍団は内紛による崩壊を免れない
と読んだ

信長自身も急成長する組織拡大にともない
自身のカリスマ性強化に向けて突進している
・・・が逆に過度な独裁による軍団崩壊の危険性
を高めてしまった~光秀にしても
秀吉にしても信長と織田軍団の後ろ盾が
あるがための自分の立場なので
その地盤が崩壊したときの自己保身を探っていた

現に、本能寺で信長亡き後の織田軍団は
見事に崩壊している
軍団再建という建前として織田血筋の擁立は
一時的にあったものの見事に織田家の威光は
消失し秀吉、家康ともに織田家を一家臣に
追いやっている

そして、皮肉なのは~
秀吉の組織も結局は同一であった
秀吉という卓越した個性が輝き
多大なカリスマ性を放ち、それで統一された
豊臣組織や日本社会は、秀吉死去の後の
組織崩壊は誰の目にも明らかで、それぞれに
大名としてのお家の地位立場を維持するための
画策競争が始まっている

信長のカリスマ性の死去による織田軍団の
虚を巧みに画策し天下人と成り上がった
秀吉も、最後は、自らのカリスマ性喪失に
よる豊臣組織の崩壊を迎えたのは
なんとも皮肉なことだ!

下剋上の戦国時代
光秀にも天下人となる野望があったとする
説もあるが、筆者は100%否定している

光秀にカリスマ性はない
上司に媚を売り、上手に立ち回る術には
秀でているが、このタイプは、いつの時代でも
人望がない

光秀は信長亡き後に祭り上げる相手を
探していた。それが家康だった

家康には信長や秀吉のような
カリスマ性は皆無である
その家康は武田信玄と似ている

いつ殺されるかわからない家臣団に囲まれ
家臣たちを満足させるために自分の成長を
探り必死に努力し目的を実現したタイプ

したがって信長や秀吉と違うのは
組織がカリスマ性により形成されたのではなく
有力武将たちの集団で組織が形成されていった点だ
家康の治世は組織による合議制として
組織が動いたので家康、秀忠、家光の
あとも組織性治世で270年も続いた

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