天井までお洒落な仙台駅にて待ち合わせ。「大宮さん、仙台にいらっしゃーい!」
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大宮さんの記事を読み始めたのは2008年の『ロスジェネ世代の叫び!』からです
緊急事態宣言が解除され、東京が「ステップ3」に移行する前日の6月11日。僕も2か月ぶりに出張を解禁することにした。今回の行く先は仙台。自宅のある蒲郡から豊橋駅で東海道新幹線に乗り、東京駅で東北新幹線に乗り換えて向かった。
仙台駅の新幹線口で待っていてくれたのは及川陽一郎さん(50歳)だ。仙台で生まれ育ち、大学は東京に行ったものの就職はやはり仙台。自宅も職場である民芸品店「仙台光原社」も仙台駅から歩いて行ける。ナチュラルボーン仙台人だ。
観光地としても住みたい街としても有名な仙台について僕が語ることは何もない。及川さんが僕の読者になった理由から聞くことにした。
「大宮さんの記事を読み始めたのは2008年の日経ビジネスオンラインの連載『ロスジェネ世代の叫び!ボク様未婚男』からです。世の中にはいろんな変な人がいて、みんなそれぞれに生きているんだな、と面白く読んでいました。当時の日経ビジネスオンラインには文化系の読み物が多かったですよね。島地勝彦さんの『乗り移り人生相談』と大宮さんの連載は毎週の2大楽しみでした」
長い読者歴を披露してくれる及川さん。ロスジェネ連載、懐かしい。僕が恋愛や結婚について書き始めたきっかけとなった仕事だ。当時はとても暇だったので週1ペースで取材と執筆をしていた。その後、同世代女性や既婚男性との対話、さらにお見合いおじさん活動レポート(日経ウーマンオンライン)へと続いていく。
及川さんは日経BP社での連載終了後も、僕の記事を「わざわざ探して」読んでくれているらしい。その一つが、ヤフーニュース個人にて復活したお見合いおじさん活動(記事はこちら)だ。
「(既婚の)私は婚活には興味がないけれど、あの連載は楽しく読んでいます。特に男性が出てくると、『この人は面倒臭そうだな~。結婚は難しいのでは?』とか思いますね。大宮さんは書く対象に愛情があり、あまりくどくないので読み飽きません」
さすが東北一の大都会。洗練された名古屋、という感じです
何かに熱中できる人へのコンプレックス
私はコレクター体質ではありません
独特の言い回しで僕を評価してくれる及川さん。話していると、僕と共通点があることに気づく。何か1つのことに熱中できる人へのコンプレックスだ。
僕はフリーライターで、及川さんは曽祖父の代から続く名の知れた民芸品店の店主である。それぞれの同業者にはマニアックなほど対象物を愛して情報や物品を収集している人が少なくない。当然、職業的にはそれが大いに役立つ。鉄道ライターなどは典型だ。
「モノは好きだけどそこそこのところでいいんじゃないの、と思ってしまいます。好きな作り手の展示会に行くと、同じくモノ好きな妻と合わせて20万円分ぐらい自宅用の器を買うことはありますが、私はコレクター体質ではありません。器は気持ちよく使えればいいじゃないかと思います」
ああ、わかるなあ。最近の僕は「婚活応援ライター」とか自称しているけれど、婚活に関する情報を常に収集・分析しているわけではない。婚活のトレンドを聞かれても困るし、そもそもあまり興味がない。目の前にいる人の恋バナを聞き、人間関係についてあれこれ話し合って考えて書くのが好きなだけだ。
大きな車道に挟まれた定禅寺通り。秋はけやきの紅葉が美しいそうです
ちょっとこじれた「インテリお坊ちゃま」
気負いも気取りもなく家業に入る
及川さんの話に戻ろう。井上ひさしの『青葉繁れる』(文春文庫)の舞台にもなった東北の名門高校、仙台一高を卒業した及川さん。小説のような楽しい高校生活ではなかったようで、現在まで交流が続く友人は一人しかいないらしい。大学は早稲田大学に入って4年間の東京生活を満喫し、仙台に戻ってからは東北大学の大学院に入って研究者の道を目指した。失礼ながら、ちょっとこじれた「インテリお坊ちゃま」な青春時代である。
「でも、研究者になるのは能力的に無理だとわかり、博士課程を中退しました。就職氷河期の97年です。27歳になっていました。就職先は見つからず、仕事は何をしても大して変わらないだろうと思って、(一族経営の)店に入ったんです。バブルが終わり、すでに右肩下がりの時代でしたけど」
他人事のような口調で語る及川さん。家業がある人の特徴かもしれない。特に長男長女にとっては家の商売は当然のように引き継ぐべきものなのだ。責任感と諦観が交じり合った気分になるのだろう。そこには気負いも気取りも必要ない。
世界的な建築家、伊東豊雄が建築し複合公共施設「せんだいメディアテーク」。文化度高し!
命名は宮沢賢治、看板デザインは芹沢銈介。
由緒正しいお店を継ぐということ
「光原社は曽祖父が1924年に盛岡で創業しました。曽祖父には娘が4人いて、実質的な2代目はそのうちの1人。私にとっては大叔母ですね。自分たちがやりたいことだけちゃんとやる、店の存続は重視しない、というのが曽祖父たちの考え方だったようです。でも、遺されたモノや店はどうするんだよ、と言いたくなります(笑)」
あくまでもゆるい調子で語る及川さん。しかし、店のホームページを見ると光原社の由緒正しい歴史がわかる。創業者の及川四郎は盛岡高等農林(現岩手大学農学部)の卒業生であり、1つ上の学年には宮沢賢治がいて親交があった。光原社の命名者も宮沢賢治であり、四郎さんが友人と一緒に奔走して出版にこぎつけた童話集がかの『注文の多い料理店』なのだ。ちなみに、光原社の看板デザインは芹沢銈介。うーん、すごい。
及川さんは、光原社の仙台支店を興した父親の長男であり、現在は叔母が担っている光原社の社長を継ぐことがほぼ決まっている。第三世代なのだ。
「上の世代はあと10年もすれば全員が80代です。そうなると店のあり方も変わるんだろうな、と思っています。でも、先のことを細かく考えてもそのようにはなりません。4年後に迎える100周年はどうしようかな、と漠然と考えているぐらいです」
やる気があるのかないのかよくわからない及川さん。しかし、仙台光原社の店内を見せてもらうと、静かだけど強いものを感じる。有名作家の作品や流行りのモノであっても、光原社に合わないものは絶対に置かない、という意志が棚に並べられた品々から伝わってくるのだ。
「仕入れについては勉強したわけではありません。子どもの頃からある程度はモノが好きだったので、『こんなものかな~』と思いながら仕入れています。自分でも買って使うことも大事ですね。そうやって10年も経てば『共通の目』を持つことができるのではないでしょうか」
青葉城(仙台城)に向かう途中には東北の最高学府、東北大学のキャンパスがあります。広そうだな……
集める人の目がバラバラでは安心できない
目を統一すれば、需要があり、商売になる
及川さんの言う「共通の目」とは、盛岡と仙台に4店舗ある光原社の価値観である。及川一族のポリシーとも言える。
「言語化しているポリシーはありません。色とか素材とかで、『これはダメだよね』という感覚がなんとなく通じているだけです。安くてもいいものはありますよ。自宅で使う食器の好みが夫婦で似てくるのと同じかもしれません」
仕入れて店に並べるモノには、及川さんの好みも当然反映される。しかし、自宅で使うものと完全に一致するわけではないらしい。及川さんには及川さんの、光原社には光原社のあり方があるのだ。
「デパートの和食器コーナーなどで『いいな』と思うことはほとんどありません。店主の視点でモノが統一されていないからです。集めた人の目がバラバラでは、客としては安心できないでしょう。安っぽいモノでもいいんですよ。そういうモノが好きな人もいますから。それで統一すれば、需要があり、商売になると思います」
青葉城の広場にあったテーブルに座っての気楽なインタビューだったが、及川さんは大切なことを教えてくれた気がする。商売を長く続けるために必要な統一感やこだわりについて、だ。
それは自分自身の嗜好とは少し違う。客の要望に応えるだけでもない。歴史や地域、顧客、仕事仲間、そして自分を率直に見つめたとき、「これは採算度外視でもやろう」「これはやるべきではない」という内なる声が聞こえる。勇気を持ってその声に従うことが大事なのだ。
「ウェブマガジン『冬洋酒』の連載は、どの連載も大宮さんの視点で描かれた人物読み物という点で共通していますよね。『地域で始める小さな商売』でも、ビジネスノウハウではなく取材先の人柄が伝わってきます」
及川さんは食器などのモノを扱い、僕は人物を取り上げる。「うちの特徴はこれです」とうたえるようなポリシーはない。でも、及川さんと仙台光原社を見習って、「来店」してくれた人が何らかの統一感を見出せるようになりたいと思う。長く働き続けることを少し考えた仙台旅行になった。
坂道を上ること20分。やっと石垣が見えてきた! 及川さん、僕はもう体力の限界です
城郭が復元されていないのはむしろ風情があっていいですね。奥にいる馬上のお方はもしや……
やはり独眼竜政宗公でした。ちょっと雄大な気分で記念撮影。近くにいた若者に撮ってもらいました
新型コロナウイルスの影響で売店は閉まっていましたが石垣石の割り方を学べたので満足です
1968年に開店した仙台光原社。その翌年に及川さんが生まれました
光原社が認めた「良きもの」が並ぶ店内で再び記念撮影。僕たちも良き者になりたいです
2階には洋服やタオル、置物なども並べてあります。仙台に行く際はぜひ立ち寄ってみてください
お土産でいただいた「くるみクッキー」。光原社オリジナルお菓子です。これはうまい!
愛知の自宅に帰ったら、購入した器が届いていました。及川さんの達筆のお手紙付き。粋だなあ