フリーランスのWebエンジニアです。 神奈川県生まれの大阪育ちです。 中学生から30代半ばの現在まで、エレクトリックベース/バンド/音楽を通じて 人生の悲喜こもごもを体験しました。 中学生〜大学3年生(大阪) 一つ上のギタリストの兄の影響でベースを始める。 友人とバンドを組む、クラブやサークルに入る、学外でバンドのサポート、 プロに教わったり後輩に教えたりと充実した音楽生活を過ごす。 大学3年生(大阪) 就職活動で面接で「学生時代そんなにバンドがんばったのにどうしてプロのならないの?」 という問いに答えを出すことができず、無気力になる。 大学卒業後〜20代後半(大阪) 就職からも音楽からも目を逸らしていることに気付きつつ 飲食のアルバイトに精を出す。 若いこと戯れるのが勇逸の趣味としてこのままじゃダメ思いつつ 何も行動できず。 20代後半 家族や結婚のことを考え、当時売り手市場が始まっていたエンジニアを志す。 複数のプログラミングスクールに通い30歳の時エンジニアに転職。 30歳(大阪→東京) 楽器をPCに持ち替えてこれかはプログラミングで頑張るという意気込みはあったが仕事でなかなか成果がでない日々を過ごす。 ある日ATATAというバンドの鳥居さんの記事を読んで、「どちらかを諦める必然性は特にない」という結論に至り、音楽もエンジニアリンも盛んなイメージがある東京に転職する。 31歳〜34歳 転職も無事果たし、シェアハウスに住んでいたメンバーでバンドを結成。 半年足らず、一回のライブで解散。 半ば逃走気味で引越し。 その後に住んだシェアハウスにてバンドのベーシストとして生計を立てている人と単価70万のフリーランスエンジニアと一緒に住んでいた時期があり、自分の至らなさを知り、一人になることを選ぶ。 現在(神奈川) 失職、コロナ、身内の不幸がいっぺんに降りかかり人生の最終局面を迎える。 人生に再起と仕事への向上と音楽と再び向き合うことを決意し、 尊敬するエンジニアののびすけ校長が主催するプロトアウトスタジオに入学する。