このコミュニティについて
はじめまして、松田と申します。
地方の小さな町で、塾をしています。
教える仕事を始めてから8年間になります。
『勉強と、勉強のしかたと、勉強のおもしろさ』を教えています。
①『知育・教育用ゲームの研究開発』
②開発したゲームをファンの皆様からなる『教育×ゲーム研究会』で共有し、発信していく。
①教育・能力開発ゲームの開発
・試作品に必要な
1.資料…参考書籍・製品、論文等の資料印刷代など
2.備品…カード・台紙・画用紙、工作用具、インクなど
・その他諸経費(通信費等)
②ゲームの試作制作および製品化
・『教育×ゲーム研究会』において有用であると認められた製品を製品化します。
・ゲームの試作作成・製品化にあたり、デザインや設計の依頼が必要である者に関しては、然るべき業者に依頼します。
③余剰金について
・余剰が生じた場合、余剰分はイベントの開催等、活動の強化に充てさせていただきます。
【3000円】
①『教育×ゲーム研究会』”コアメンバー”のメンバーシップ。Facebookでのメンバー限定非公開グループに招待させていただきます。
②毎月発行の会報をお送りします。会報には様々なアイデアを掲載予定です。
【10000円】
①『教育×ゲーム研究会』”コアメンバー”のメンバーシップ。Facebookでのメンバー限定非公開グループに招待させていただきます。
②毎月発行の会報をお送りします。会報には様々なアイデアを掲載予定です。
③月に一度開催される『教育×ゲーム研究会』に参加できます。アイデアのシェアと体験、会の運営方針を話し合います。場所は名古屋近辺を予定しています。日程はFacebookグループページにて多数決で決定します。
④半年に一度(6月・12月)、『教育×ゲーム研究会』と同じ日に特別なゲーム会にご招待させていただきます。内容の一例としては、『一生に一度しか体験できないゲーム』など、希少なゲームを体験していただきます。
こう聞かれて、「はい」と答える人は多くはありません。
勉強が嫌いだとか、苦手だとかいう声は昔からあるもので、目新しいものではないです。
ですが、最近一つ変わってきていることがあります。
それは、世の中が多様化し過ぎていて、学生たちが勉強から”逃げる”口実が多くなってきている、ということです。
例えばテストで落第点を取ってしまっても、落第を避けるべき努力を自分で模索するケースは、一般的な学校ではほぼありません。
補習や同じ問題の追試という形でお膳立てをされるので、落第することに危機感を覚えずやり過ごせてしまいます。
私は勉強が何よりも大事であるとか、勉強以外の選択肢を否定しているわけではありません。
子供たちにとって、将来何になるかという選択肢は増えてきています。
今までないほどに情報が行き交い、はるかに豊富な知識で物事を判断できる時代です。
なので、子供たちはなりたいものになればいい…そう思います。
しかし、そうは言っても、世の中にはあまりに多くの”モノ”があふれていて、自分の生き方を決めにくい。
『将来の夢』といったものを持っている子が少ない時代であることは、
「将来の夢は公務員です」と語る子供が実際にいるようなことからもわかるかと思います。
公務員になることは夢にはならないと言いたいわけではありません。
しかし、少なくとも、”夢”という言葉のもつ無限の広がりはなくなってきている気がします。
昨今、あまりに物事が画一的に整備され過ぎていて、あまり頑張らなくとも生きていけてしまいます。
勉強が煩わしければ、多少の叱咤を覚悟してやり過ごしてしまっても、
「学業を修めた」として中学・高校では卒業証書がもらえてしまいます。
勉強から逃げている間は、ゲーム、マンガ、音楽、スマホなど、勉強よりも安易な方法を選ぶことができます。
インターネットを開けば、どのように社会に出ても、何とか生きていけるような気にすらなります。
これらのことは、私が講師として生徒と向き合い、語り合いながら感じることです。
多分に主観的な意見かもしれません。
細かいことを言えば、実に様々なケースがあります。
一様に述べられないという点が、またこの問題の難しいところだと思いますが…
私は以下のように感じます。
繰り返しますが、何も勉強が全てではありません。
しかしながら、『学校に行かない』という選択肢を、多くの場合選べない/選ばない。
「サッカーを死ぬほど頑張る」などと、目標を持って”勉強をしない”という選択をするのなら大いに結構。
しかし、そんな子が果たして多くはいるでしょうか?
『ただなんとなく、”行かなくてはいけないらしい”から学校に行っているのか?』
この問いを否定できる子供は果たしてどれだけいるでしょうか。
例えば英語。
試験のために、何百時間と学校で勉強した結果、
その能力を運用できている大人が周囲に果たしてどれだけいるでしょう?
試験や入試以上の大きなビジョンもないまま、楽しくもない勉強を子供ながらに多くの人が体験してきたことでしょう。
横暴に聞こえることは覚悟の上ですが、
嫌々ながらやるくらいなら、やらない方がまだましでしょう。
目的がある上でのことなら、勉強をする過程は忍耐となり、生きていく糧となるでしょうが、
目的がなければ、勉強という苦痛を我慢することは歪みとなり、反動化するだけです。
どうせ嫌々ながらもやるのであれば、
どうせやらないことを選択しないのであれば、
むしろ、勉強から逃げるのではなく、正面から向き合ってみてはどうか…
このように私は思いますが、そんなに簡単なことではないことも承知しています。
もっともらしいことを言われても、すんなりと感情的な問題は解決できないものです。
ますます複雑化している世の中で、子供の思い方もより複雑になってきています。
では、何を変えていけばいいのでしょう?
今、世の中はものすごいスピードで変化しています。
たくさんのことが、一昔前と比べれば飛躍的に便利になりました。
様々な新しいサービスやシステムが登場し、多くを選べるようになりました。
一見すると、子供たちにとっての未来は広がっていっているように思えます。
しかし、学校教育の制度はほとんど変わっていません。
表面的には多くの変化がありますが、根幹が変わっていないのです。
国家で一度定めた根幹を大幅に変えることは、非常に大きな仕事です。
変化には、多くの時間がかかるでしょう。
しかし、その変化の速度よりも、世の中の変化の速度ははるかに速い。
だから、そのギャップを埋める何かが、必要になります。
学校教育が悪いとは思いません。
しかし、時代が変化とともに求めるその何かを与えられない。
これは制度上・機能上の限界です。
モノづくり一つをとっても進化し、多様化し続けているこの時代です。
勉強も多様化するべきであるのは、もはや必然ではないかと思うのです。
①勉強
②勉強のしかた
③勉強のおもしろさ
この3つを私は教えています。
①の勉強は、学校や塾などから想像できる、あの勉強です。
これはもちろん、大事なのですが、私は②と③がこれからの時代に必要だと考えています。
②がまず重要です。
この”勉強のしかた”というのは、学習の計画を立てることだとか、どのテキストをどのように進めていくかということだけではありません。
勉強そのものをできるベースを作ること、これから吸収する知識の受け皿を作ることをするのです。
勉強に必要な頭の使い方は、様々あります。
スポーツや芸術にも似ていて、頭の使い方にも大まかに言っても「テクニック」、「スピード」、「瞬発力」、「スタミナ」や「ひらめき」などがあります。
一般的に浸透して久しい”脳トレ”などは、まさにこれらを鍛えるものです。
しかし…
頭の良し悪しを先天的なものであると思っている人は多いのではないでしょうか。
そうでなくとも、これを”自分ではいかんともしがたい要素”のように思っている人が多いように思えます。
そう思ってしまっても、不思議ではありません。
一般的に天才と呼ばれる、飛び抜けた人は確かにいると思います。
鍛え方や環境次第で世の中の人が全てアインシュタインのように頭がよくなれるのかと言われれば、そうでないのかもしれません。
…しかし、仮に才能というものを持って生まれる人がいるとして、
才能がなければ、テストでクラス1番になれないのでしょうか。
世界を動かすほどの才能を持って生まれなければ、テストで100点は取れないでしょうか?
違うと思います。
相対性理論のようなことは、一生のうちにどんなに頑張っても思いつかないものかもしれません。
しかし、”相対性理論を思いつかないこと”からといって、「私は頭が悪い」ですか?
―そうはならない。
人には”なりたい自分”や、”こうであったらいいのに”と思うことがあるかと思います。
それを叶えるために、もしくは、そんな自分であるために、”じゅうぶん賢く”なることはできるのではないか…
そのために勉強のしかたを考えるべきだと思うのです。
こんなことを言われることがあります。
しかし、それは私の目指すものではありません。
スマートフォンを使用することの物理的なデメリットももちろんあるのですが、それだけではないのです。
確かにスマートフォンの出現により、多くのことが場所を選ばず可能になりました。
参考書を開くことなく勉強すらできてしまいます。
ただ、ここには重要な要素が欠けています。
例えばミュニケーションの中で培われる『忍耐力』です。
『忍耐力』というのは、理不尽な事柄に対する我慢を意味するものではありません。
目的を達成するために、目先のことに耐える力のことです。
これは勉強だけに限らず、人生における全てにおいて役に立つ能力です。
好きな時に好きなだけアクセスできるツールであるが故に、スマートフォンでは自分から一方的にコミュニケーション遮断することもできてしまいます。
昨今、若者は「キレやすい」などと言われます。
この原因として、核家族化による子供の孤立化や、メールやSNSの台頭による双方向的なやりとりの欠如などが挙げられます。
それでいて「打たれ弱い」と言われる今の若者たち…
この先の教育に必要とされるのは、IT化による効率化等だけではないのです。
ゲームには目的と、それを達成するためのルールがあります。
スポーツに秀でた人は、学業も秀でていることが多いのは、スポーツがこういった側面を持っているからです。
全ての人がスポーツを好むわけではありません。
当然、全ての人がゲームを好むわけでもありません。
しかし、多くの人が勉強を避けるという前提がある以上、
勉強にゲームを取り入れることは必然になっていくのだと思います。
ゲームであることの意義は、”勉強をする”というプロセスそのものを楽しくするということがまず挙げられます。
しかし、ゲームは娯楽のためだけのものではありません。
スポーツが好例です。
ゲームには目的と、それを達成するためのルールがあります。
よって、ゲームは多様に仕組むことができます。
思考にまつわるあらゆる要素を強化できます。
ルールに従い、目的を達成するプロセスは忍耐力や協調性を育てます。
目的があり、ルールも明快なので反復学習が苦になりません。
学習の能率化が大きく期待できます。
完璧にすべてを補えるものではないですが、メリットは大きい。
ゲームというと、テレビゲームなどを想像する人の方が多いでしょうが、その認識はこの先変わっていくと思います。
ゲームという言葉は「学習」と結び付けて思い起こされるものになっていくと予想します。
時代がそのようなニーズを生んでいくのだと思います。
私が公開しているゲームは、数あるアイデアの中のほんの一部です。
これから様々なアイデアを形にしていくことが私のライフワークです。
ゲームとは言っても、なにもカードゲームだとか、ボードゲームという有形のものだけではありません。
様々な形態の『学習をゲーム化する手法』や、ゲーム化に際して役に立つツール、例えば『タイマー』などのアイデアもあります。
前述したような意味でも、③の勉強のおもしろさを教えることに繋がっていきますが、それだけでは語りつくせません。
この、『勉強のおもしろさ』は実に様々な要素を含むので、この先、いろいろな切り口で発信していこうと思います。
ゆくゆく、本屋の参考書のコーナーのとなりにこのようなゲームや、様々な斬新な手法が書かれた書籍のコーナーが設置されているビジョンを持って活動をしています。
最初は子供から社会人を対象とした英会話教師の講師から始め、今は中学生・高校生を中心に英語のみならず、主要5教科を教えています。
生徒を教える上で教えることで大切なことは、単に知識を分かりやすく教えるだけではありません。同じ説明をしても、生徒の吸収率はまちまちです。そんな中で画一的なカリキュラムで知識を提供していき、生徒一人一人に同程度の習熟度を求めるのは大変困難です。
例えば、塾に通う生徒は大まかに二つのタイプに分かれます。一つは、『今の学力にさらに磨きをかけたい』というタイプ。もう一つは、『勉強が苦手であることに危機を感じている』タイプ。両者の塾へ通う理由は、成績を伸ばすという点においてに通ってはいますが、その動機は根本的に違っています。後者の場合、心配した親が行動を起こすこと多い。
通常、前者と後者に対する教える側の対応は、問題の難易度を変えることです。そして、経験豊富な先生が、レベルに合わせて分かりやすく教えます。しかし、いかに分かりやすく知識を伝えたとしても、またいかに生徒がその場で先生の説明に納得していたとしても、一向に成績が伸びないことがあります。それは、知識を処理する生徒自身の思考力、計算力、ひらめき、記憶力、応用力などの能力の基礎がなければ意味がないからです。つまり、勉強が苦手な生徒には知識の受け皿ができていないことが多いのです。これは、障害があるとか、劣っているということを意味していはいません。
このような生徒は多くの場合、家庭学習をほとんど全くしません。「宿題はちゃんと提出している」ということと矛盾する場合があると思われるかもしれませんが、矛盾はありません。その場合、生徒の主眼にあるのは”宿題を求められる体裁に仕立てる”という作業であって、学習ではないのです。当然、やったことに対して成績やテストの点数がついてきません。この点だけを見ても『作業をしなければならない苦痛』と『スコアで低い評価を受ける苦痛』が勉強について回るようになります。通常、人は苦痛を進んで買って出ることをしません。ましてや子供にとって、その苦痛が避けるべきものとして根付いていくのは当然のことです。そして、勉強を避けるということはそれに伴う思考をしないということなので、先に挙げた思考力などは未発達の状態になるということです。よって、同じ授業を受けていても、成績に差がついてしまう。これほど消極的な理由で勉強を嫌いになってしまい、将来の選択に妥協してしまうとしたら、実に惜しいことだと思います。
私が追及している”教える”ということは、知識を与えるだけの勉強よりもっと前の、これらの未発達の能力を育てるということです。これらの能力を引き上げることさえすれば、勉強そのものに対する見方も変わると思います。私は特に中学生の時期が、勉強を教える上で重要と考えています。なぜなら、小学生やそれ以前の柔軟で多様なあり方ができる時期にこれらの能力の基礎が養われるからです。それらの能力が未発達のままで中学・高校と進んでいくのは困難です。勉強がどんどん嫌いになってしまいます。
もちろん、様々なその他の要因―例えば家庭環境などの諸問題など―が影響することもあります。当然これらも憂慮すべき問題であるのですが、講師としての立場で語らせてもらえば、先に述べさせていただいたことが取り組むべき問題であり、私が追及している点であります。
講師をしていると、生徒やその保護者から結果を求められます。私が考える知識を教える勉強以前の、知識の受け皿を形成するということが結果に結びつかなければなりません。これらを両立していくことは大変に難しいことです。しかし、できないことではないと信じています。先人たちの知恵として、ゲーム性を持ったカリキュラムは実際に多く作られてきました。英会話の講師として教えることを始めた時から、豊富なアイデアをたくさん見てきました。
しかしながら、多くの場合それらは”即効性”を重視したもので、有用であるとはいえ、問題の根本に主眼を置いたものではありませんでした。例えば、英語の単語を覚えることをゲームとして行うとします。テンポの良い展開で、従来であれば地道な作業を伴う”覚える”というプロセスを、苦もなくこなすことができます。レッスンが終了する頃には単語が書けるようになります。しかし、それはあくまでプロセスの効率化であって、実際にそこで覚えた単語を記憶として維持し、運用していくことはまた別の話です。覚えた単語を使って文章を自在に書くのであれば、それには別の能力が必要になります。覚えた単語を思い出すということも同じです。すぐにそれができる人もいるでしょうが、できない人も当然います。
私が強調したい点は、全ての人が自分が思っている以上のポテンシャルに目覚めるべきだと言っているのではありません。勉強ができるようになりたいとか、英語がはなせるようになりたいと希望しているにも関わらず、勉強が苦手なために自分のポテンシャルに対してネガティブである生徒たちに対して講師として何ができるか、という点です。先の例で言えば、英単語を覚えることに苦労する生徒、単語を覚えても文章を作れない生徒に何ができるかという点です。せっかくなりたい自分がいるのに、「記憶力が悪いから」とか、「文法は苦手で…」と言う評価を自分にしてしまっている生徒にこそ、それを克服するために有効な手段を探してきました。そして、その手段がゲームであると私は思っています。
私は現在、主要5教科を教えています。英会話の講師から入ったので、英語が得意です。主要5教科を教えるには知識がいりますし、英検1級やTOEICでは980点という目につくスコアを持っているので、友人などは英語だけを教えたらいいのではないかと言います。ですが、先述した通り、教えるということを追求してくる中で、知識を教えるということだけでは充分ではないということを痛感してきました。
そもそも、与えた知識をすんなり吸収できるのであれば、習いに行く必要はないと思います。一昔前は、知識供給の場として英会話教室に行って表現を身に付けることが主流でしたでしょうが、今はほとんどの知識をインターネットや書籍を通して手に入れることができます。世の中には『英会話教室に通えば、劇的に英語が話せるようになる』と思っている人もいます。英会話教室に通うことで、単語の暗記や、実用的な表現を学ぶのに劇的に効率的なプロセスを踏むことは可能でしょう。しかし、実際に英語で話すのは生徒本人です。話すということは口を動かすということなので、英語を話す筋肉ができていないと英語が自然に口から出てくることはありません。何より、英語を話すには、英語に触れる環境・習慣が重要になります。学生の時に勉強が苦手だった人には、たった週1・2回のレッスン以外でそのような環境・習慣を作ることは努力が必要かと思います。しかも、その努力は講師がどうにかできる範疇の話ではありません。せいぜいアドバイスを差し上げるくらいのものでしょう。
そこで考えたのが、英語をテーマとしたゲームです。最大の特徴は、『英語が読めなくても、しゃべれなくても遊べる』という点です。2通り以上の遊び方ができます。このゲームは以下のことを主眼に作られました。
1.英語の語順を学べる
簡単に文章を作ることができるので、文法を知らなくても遊ぶことができ、語順を覚えられる。
2.英語を読めなくても、絵だけで遊べる
英語が読めないから、文法が入ってこないということが起こりません。
3.コミュニケーションを主軸としている
コミュニケーションをとることで忍耐力が身に付きます。また、作り上げた文章がそのまま効果となるゲームなので、言語でのやり取りが体験できます。
4.英語に対する抵抗を軽減できる
文法を学ぶ上では、言葉に翻弄されることが多いですが、シンプルに仕上げていますのですんなりと入り込むことができます。
(詳細は別のプロジェクトとして立ち上げたものを参照してい戴ければと思います)
▲試作用のゲームをプレイする小学生たちです。小学1年生~5年生の子が参加してくれました。
私の活動は、講師として多くの人に『勉強、勉強のしかた、勉強のおもしろさ』を伝えることです。
少しでも多くの人に、多くの可能性を感じていただきたいと思い、アイデアの製品化を選択しました。
講師活動を続けながら、講演などを通して『勉強のアイデア』を広めていく活動を展開していくつもりです。
皆さまのご支援を戴けましたら、大変良いはずみになるかと思います。
宜しくお願いいたします。
文章内で表現させていただいた、『一般的に』や『通常』、『多くの場合』という表現は、限られたスペース上で、より多くの人に伝えることを意図して選ばせていただきました。このような事柄に関する問題は、詳細を辿れば多岐に渡り一般化できないものも多くあり、不快に思われる方もいるかと思います。あらかじめお詫び申し上げます。
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