2018/04/27 11:52
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チャンピオンズリーグ決勝を22年連続現地取材。


2000年から18年間プレミアリーグを現地取材。


日本で誰よりもプレミアリーグを現地で取材しているカメラマンがいる。


▼はじめに


山田一仁さんだ。


イギリスに住み、プレミアリーグを長らく取材し続けている数少ない日本人だ。


1957年1月1、岐阜生まれの61歳


現在は岐阜にもお住まいがあり、イギリスとヨーロッパを往復する生活を送っている。


プレミアリーグパブは、そんな大御所をお招きして、2018年3月1日にトークイベントを行った。


会場でお話いただいた内容を今回記事にしている。


(司会・内藤秀明、撮影・中村僚)


▼テーマと自己紹介


――内藤


本日はよろしくお願いします。


今回のテーマなんですけども、山田にカメラマンの仕事はどういうものなのか、プレミアリーグのカメラマンになるまでの経緯や、


直近に取材したチャンピオンズリーグのチェルシー対バルセロナ(1-1)と、


とヨーロッパリーグのアーセナル対エステルスンド(1-2)の試合をピッチ目線で見て、どういう選手が目立ったのかお話しして頂こうと思っています。


あらためて山田さんと僕の自己紹介をさせて頂きます。山田さんはサッカーを中心に撮影をしているカメラマンで1957年生まれ、今年61歳の大ベテランです。


90年からワールドカップを取材していて、96年から22シーズン連続でCL決勝を取材、EUROを6大会連続、2000年からプレミアリーグの撮影ライセンスを取得されていて、日本人だと山田さんだけですかね?


――山田


後はサッカーダイジェストが持っていますが、個人では僕だけだね。


――内藤


とのことで、貴重なライセンスを持っていらっしゃるカメラマンさんです。


僕の自己紹介をさせて頂きますと山田さんとは子供と親ぐらい年齢が離れているのですが(笑)、


1990年生まれの大阪府出身。プレミアリーグ専門のサッカーライターをさせて頂いていて、2012年の5月からに1年間イギリス留学して、「ロンジャパ」というサッカーチームで山田さんと一緒にボールを蹴っていました。


そこで仲良くさせて頂いてカメラマンのアシスタントをさせていただくなど、いろいろお世話になっている感じです。


▼カメラマンの仕事について


――内藤


さて、ここからは山田さんにもどんどんお話していただこうと思います。カメラマンの仕事はどういう仕事なのか想像つかないところもあると思うので、基本的なところをまずご説明いただこうかなと。


――山田


カメラマンと言ってもいろいろなジャンルがあって、僕はサッカーを専門としているカメラマンです。


サッカーの場合は基本的に土日しか試合がないんだけど、日曜日だけでも年間50試合、土日続けて行けば100試合あるよね。


チャンピオンズリーグのようなカップ戦も含めて水曜日、木曜日も行くと150試合ぐらい試合数があって、そのうちおおよそ年間100試合くらいはスタジアムに撮影に行ってます。


――内藤


サッカーのカメラマンの方がサッカーの撮影される際、どれくらいの時間について、試合前はどういう準備をしているのかでしょうか?


――山田


かなり早めに到着しないとダメなんだよ。


お客さんで行く時はキックオフに間に合えばいいんだよね。特にイングランドだと、選手がアップしている30分前のスタジアムは1割から2割しか入っていない。キックオフの5分ぐらい前に押し寄せてくる。


スタジアムの座席では飲酒禁止なので、コンコース内や近くのパブでビールを飲んでいてキックオフの直前に座席につくのが彼らの普通。


ただし僕らはだいたい2時間ぐらい前が目安で。遅くてもギリギリ1時間前には行って、カメラを出して不具合がないかを確認しつつ、自分の取りたいポジションを取りに行かなきゃいけない。


プレミアの場合はスタジアムによって作りが全然違うから、カメラマンのスぺ―スが広いところと狭いところがある。


あまり注目されていない試合だと、カメラマンも少ないのでたくさん撮影スペースはなんとかなるんだけど、人気の試合は全然スペースがない。


だから早く行かないといけない。


基本的に古いスタジアムの撮影スペースが狭いことが多いんだけど、マンチェスター・シティのエティハド・スタジアムは新しいのにスペースが全然なかったりする。


基本的にはタッチラインでは撮影禁止で、ゴールラインのところもメインスタンドから見て左側にはスペースがあるものの、逆側はちょっと塹壕のように堀ってあるので難しい。


なので試合前から、カメラマンは撮影ポジションを確保するという仕事がある。


大体、2時間から1時間半前になると撮影ポジションのくじ引きをするから、万が一遅刻して1時間前に着いてもポジションがもうないんだよね。


――内藤


え、撮影ポジションってくじ引きなんですか?


――山田


そこはくじ引きなんだよ(笑)。


だから2時間前には行かないとポジションが取れないんだけど、車やバスで行くと渋滞に巻き込まれることがある。


例えば、以前ユベントスに行った時、飛行機に荷物を預けたんだけど、一脚だけ出てこなかった。


しょうがないからお店に買いに行ったらその時間だけ遅れてしまって、スタジアムは目の前に見えているんだけど、1時間ぐらい前になったら渋滞で全くバスが動かなくなって、結局キックオフギリギリに着いてしまった。


――内藤


そういうトラブル海外多いですよね…。


試合が始まってからは、どういうお仕事の流れなんでしょうか。


試合中は集中して撮影されるのだと思うのですが、どのタイミングで写真などを出版社などにお送りしているんですか。


――山田


昔と今とで全然違うから、昔話もすると、


フィルム時代は、スタジアムには現像する部屋があってその場で現像していたんですよ。暗室の中に現像する人がいてドライヤーでばーっと乾かしてスキャンするとか。


今はデジタルになっているからそんなことはもうないけどね。


あとは国別でも文化が若干違っていて、プレミアリーグは少し特別。


イギリスは新聞などが歴史的にヨーロッパの中で1番早くできたからなのか、サッカーの母国だからなのか、メディアの人が写真をすぐ送らなければいけないことリーグ運営側も理解を示してくれているんだよ。


なのでカメラマン+写真を送るためのアシスタントを1人スタジアムに入れていいことになっている。


その場合は撮っている人の横にアシスタントを座らせて


「何コマ目の写真を送ってくれ」


とか言いながら撮影する。


ハーフタイムとか試合が終わってからでもいい日もあるけど、日本の新聞に送る場合は急ぐことも多い。


例えば15時キックオフの試合は、夏時間だと8時間も時差があるので日本時間だと23時。日本の新聞は24時が締め切りだったりするから、試合が終わらなくても前半の分だけ送ったりすることもある。


香川真司がマンチェスター・ユナイテッドにいた時は、


「活躍しなくてもいいからボールを触ったシーンにだけ送って欲しい」


なんて言われたりもしていたから、とりあえず香川の写真だけ撮って早めに送ることも多かったね。


ちなみに写真と原稿では、原稿のほうが締め切りは遅いみたいで、


香川が得点して原稿ではゴールシーンに触れられているのに、写真は別の場面なのはそういう事情。


今は機材も進歩していて、撮った瞬間にパソコンにすぐ送れる。


写真を撮った瞬間インターネット経由でスタジアム内の部屋にいるアシスタントに送っている通信社もあって、そのアシスタントが紙面に使える写真だけピックアップして送る作業をしている。


※通信社…道機関や民間企業の需要にこたえてニュースの収集、配信を行う企業のこと。日本でいうと、地方の新聞社は地元に記者が集中するので、地元以外のニュースなどは通信社から購入して紙面を構成している。


他にも今のデジタルカメラにはマイクが付いているものもあって、例えば「ウィリアンの先制ゴール」なんて写真にキャプション(写真の説明)をつけることができる。なので、アシスタントが生で見てなくても写真を選べるようになっていて便利だよね。


写真の世界は、どんどんスピード競争になっているので、世界的な通信社は速さ勝負。写真の良さも重要だけど速さも本当に重要。


速いほうが勝ちみたいなところがある。


新聞、雑誌などカメラマンにとっての「お客さん」には締め切りがあるので、やっぱり速くしないとダメなんだよね。


▼フィルムとデジタルの違いについて


――内藤


ちなみに1試合で大体どれぐらいの写真を撮るものなんですか?


フィルム時代と今とで全然違ってきそうですが。


――山田


フイルムは撮った分だけ現像しなければいけないのと、枚数制限があった。


若い人はフィルムの事をわからないかもしれないけど、フイルムは最大36コマしか撮れない。


36コマとったらフィルムを変えないといけないので、


例えとして正しいかわからないけど、ガンマンとかがわかりやすいかな。彼らが6発しか入らない回転式の銃で4発目を打ち終わって、敵が3人いたらアウトじゃない。


ガンマンとカメラマンは似ていて、自分が今何回シャッターを押してるのか数えて


(これ以上使ってしまうとアウトだな)


とか考えながら撮っていた。


大体1試合、36枚撮りフィルムで10本ぐらいが平均かな。


ボールは保持しているけどお互いにチャンスがない、ただボールが回っているだけという試合は10本より少くなる。


でもどちらにもピンチとチャンスがあって見所の多い試合、実際に点が入らなくても、シュートをギリギリでファインセーブするシーンなどが多い試合だと、20本ぐらいになることもあったね。


フイルム時代は10本だと360枚、20本でも720枚ぐらい。


デジタルになってからは少なくても500枚はとるかな。


デジタルはコンパクトフラッシュ(フラッシュメモリ型メモリーカード)とかSDカードだから1回買ってしまえば、その後お金はかからない。フィルムの時は大体1本を1000円くらいで買って、1本現像するとまた1000円ぐらいかかる。


使えば使うほどどんどんお金がかかったが、正直つらかったな(笑)。


今はカメラ自体は高くなったけれど、フィルムを消費するところでお金がかからなくなったから有難いね。


――内藤


撮り方も人によって変わるんですか?


――山田


変わるよ!


バラバラと映写機というかビデオのようにシャッターを押したまま連写する人もいる。


僕はあんまりバラバラ撮らなくて、連写することはあまりないかな。

 

▼プレミアリーグのカメラマンになる経緯

 

――内藤


カメラマンのお仕事について説明してもらいましたので、


そもそも、どのような経緯でカメラマンになったかもご説明いだけますか?

 

――山田

 

皆さんはちょっと想像できないと思うんだけど、カメラマンになりたいと思ったのは、中学生の時かな。


まったくスポーツ写真とは関係なくて、皆さん知っているかわらないけど、ベトナム戦争を撮ったカメラマン、沢田教一の写真をたまたま本屋さんで見て、戦争の写真に結構ショックを受けた。


人間の喜怒哀楽がよく伝わって、良くも悪くも感動して「写真の力って凄い」と思ってカメラマンになりたいと決心した。

 

カメラで写真を撮るようになっても中学生、高校生が突然戦場に行けるわけじゃないので、身近なスポーツを撮っていたかな。


高校の時からサッカーをやっていたので大学に入ったらサッカー部と写真部の両方に入部して、自分が試合に出てない時にサッカーの撮ったり、どちらかというと報道カメラマンになりたいので、卒業後は海外に行けて報道写真が撮れる共同通信が第一志望だったんだよ。

 

でもちょうど大学4年の時に文藝春秋のNumberという雑誌を見て「これは面白そうだ」と思って、受けてみた。


結局、第一志望の共同通信は落ちてしまって、どういうわけか文藝春秋に受かった(笑)。

 

――内藤

 

就活はそんなものですよね(笑)。

 

――山田

 

文春砲とか言われて、最近は週刊文春がスキャンダルをバンバン暴いているイメージしかないと思うんだけど、他には月刊文藝春秋があって、本当は書籍も出版しているところなので、作家というか小説家の人との付き合いがもともと多いんだよね。


だから対談とかインタビューで人の顔写真を撮るのが多かった。


表情を撮るのが写真の基本だから。


最初の1年間はいつも料亭での対談とかを撮ってばかりでいたね。

 

――内藤

 

初めてしたサッカーの取材はいつだったんですか?

 

――山田

 

初めての取材は結構後になってからだけど、サッカーが好きだったから、休みの日は高校選手権とか海外のチームの来日を撮りに行ってたね。

 

――内藤

 

それでどういうきっかけで独立されたんですか?

 

――山田


いい社風の会社でアイデアを出して企画が通れば、自分が取材に行かせてもらえたので結構好きなことが出来たし不満はそんなになかった。


いや、不満はあったかな。


文藝春秋では給料に関しては他と比べたら良かったと思うんだけど、土日の手当以外は仕事ができる人もできない人も他の社員とお給料が一緒。

 

デザイナーとかカメラマンは自分の腕で勝負する仕事だと思うから、それはおかしいと思ってたけど、まあ独立とは関係ないな(笑)

 

きっかけは86年のワールドカップに行けなかったことかな。


確か78年のアルゼンチンのワールドカップだった時は決勝だけが生中継で、次の82年のワールドカップは決勝トーナメントから生中継だった。

 

それで86年はNHKが開幕から生中継をする予定でだったのを見て、だんだん盛り上がっているのは明らかだった。


「これは絶対に注目される」


と思って、84年のロサンゼルスのオリンピックの時に一緒に取材に行った編集の人に


「ペン(※)とカメラマンで行きましょう」


と言って取材申請書を取り寄せた。


(※ペン…ライターや編集者など記事を書く人のこと)

 

その申請書が届いたのはいいんだけど、


その頃の編集長は誰もよりも編集部に早くきて郵便物をチェックする人で、その申請書を見た編集長が


「86年のワールドカップの取材申請、何で日本が出ないのにいるの?」


と言われてしまった。

 

「日本が出ていなくても、NHKが中継して見たい人がたくさんいる」


「だんだん盛り上がってきているから行ったほうが良い」


と説明したんだけど、


「こんなのは行かなくていい」


と捨てられてしまった。


実際、始まる頃になってテレビでやっているの見て


「山田くんこれすごいね。開幕戦、生中継でやってるよ」


って。だから僕は言っただろうと思ったんだけど、後の祭り。

 

――内藤

 

そういうアンラッキーもあって独立してやられることになったんですか?

 

――山田


まあ、それがあくまできっかけだね。


あとは外に出て自分で何が出来るか、やれることを試してみたというのも大きかった。


なんだかんだ、89年に8年勤めた文藝春秋を、円満退社しました。


あと余談だけど、その86年のワールドカップで30ページの特集を組むことなった。


でも取材には行ってないから、通信社から買った写真を選んで記事を構成する必要があった。それで、


「どういう写真がいいか選んでやれ」


って言われたんだけど、


よく子供は嫌なことがあると麻疹になったりするじゃない?


僕はもう大人だっただけど、


ちっとも病気になったことがないのに扁桃腺になってしまって、3日くらい家で寝ていてその作業には参加しなかった。


嫌なことはできない子供みたいだよね(笑)

 

――内藤

 

僕も大人ですけど、その気持ち痛いほどにわかります(笑)

(続く…)

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