2020/06/27 07:18
■対話は「敷居の高い」営み?


Templeが「対話の場」であると知った途端に、


「ちょっとハードルが高いですね……」

「私にはご縁のない場かも……」

「僕は遠慮しておきます……」


なんてことを言って引いてしまう方々が、一定数いらっしゃいます。


そのたびに、


「世の中には、対話に苦手意識を持っている方がたくさんいるんだな」


と、驚くとともに、


「対話という営みは、まだまだ大きく誤解されているんだな……」


と、ガックリきてしまう自分がいます。


しかし、それだけじゃなく、


「対話という営みに対する正しい理解を、もっともっと広めていかないとな!」


と奮い立つ自分もいたりして……。

むかしから、やけに逆境に燃えるタイプでした(笑)。


ということで、本日も、

「対話」への誤解をやわらかくほぐしていくようなエッセイ、

張り切って書いていきますよーーー!



■対話が「得意」な人と「苦手」な人の違いって?


まず私が言いたいのは、「対話」は、決して敷居の高いものじゃない、ということです。


基本さえ知ってしまえば、本来、誰にでもできる、

ものすごく敷居の低い……というか敷居自体が存在しない(!)

どこまでも懐の広い営み、それが、本来的な「対話」です。


じゃあ、その「基本」って?


……ということに関しては、

これまでのエッセイでさんざん書いてきたので(笑)ここではザックリと、


「おなかにこころをおさめて、そこで起きてくることを、ただただ受け止めていく」


とだけ記しておきましょう。


普段、あたまの方に浮かび上がりがちな自分のこころを、

自分のおなかにしっかりとおさめて、

その上で、「なにか」が起きてくるのを、ただただ、じっくりと待つ。

「なにか」が起きてきたら、透明な管となって、それをそのまま表現する。


これが、本来的、本質的な「対話」のあり方です。


どんな資格も必要ありません。特別な知識も、一切、不要です。

口が達者な人が有利で、口下手な人は不利だとか、そんなことも一切ありません。


そもそも「対話」に勝ち負けはないし、上手い下手もないし、

それゆえに正解も不正解もない、そんな定義自体がそもそもナンセンス。


そういう営みが、「対話」なんです。


まあ、ただ、「対話」が得意な人と、苦手な人はいるかもしれないですね。


でも、それだって、「対話力テスト」のようなものがあって、

そこで高得点を取る人が「対話」が得意で、低得点の人が苦手……

というようなものじゃなくて、

(「討論」や「議論」に関しては、このきらいはあるかもしれないですね。)


単に、本来的、本質的な「対話」のあり方を知って、

そこにおいては、どんなことが起きてもオッケーなんだ、ゆるされているんだ!

と、その場にすべてをゆだねるような態度を身につけた人が、

自信を持って「対話が得意です!」と宣言できる、というだけのような気がします。


逆に言えば、「対話が苦手なんです」「不得意なんです」という人は、

単に、本来的、本質的な「対話」のあり方を知らないだけ、ということです。


ほんとうの「対話」を一度でも体感したら、

もう、そんなことは二度と言えなくなりますよ!(笑)



■対話のコツは「うまくやろう」と考えないこと


そもそも、「対話」は「する」ものじゃなくて、「起きてくる」ものなんです。


だから、究極的には、私たちは、「対話」の場に「存在する」だけでいい。

その場に「存在」して、ただ、「起きてくる」ことを、虚心坦懐に受け止めていくだけでいい。


まあ、この「起きてくることを、ただ、受け止める」というのが、

常にあたまの中が忙しい現代人には、なかなか難しく感じられるのですけれどね。


でも、普段から、できるだけおなかを意識して、そこにこころをおさめる練習をしていけば、

しばらくのちに、かならず「ブレイクスルー」の瞬間が訪れますので、どうかご安心を。


(詳しい「練習」の仕方は、第3回目のエッセイに詳しく書かれています。)


何度も言うように、「対話」において大切なのは、あたまではなく、おなかです。


変なふうにあたまを使ってしまうと(あたま「ばかり」を使ってしまうと)


「うまく話さなきゃ」

「相手の話もちゃんと聞かなきゃ」

「急いで結論を出さなきゃ」


……などと、余計な雑念に絡め取られて、

純粋な「対話」をたのしむことができなくなってしまいます。


だから、ふうっと息を吐いて、リラックスして……


おなかに「心地いい」空間を作って……


過去や未来ではなく「いま」に、

ほかのどこでもない「ここ」に、

ほかの誰でもない「自分」を置いて……


「神」や「仏」にすべてをおまかせする気持ちで……


その場に起きてくるすべてを、やわらかいこころで受け止めて行きましょう。


法然上人の


「智者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏すべし」


ということばになぞらえるなら、


「智者の振る舞いをせずして、ただ一向に対話すべし」


……ということになるでしょうか。


あたまで考えるから「対話」を難しく感じるんです。

ここはいっそ、なにも考えずに、「対話」そのものの懐に飛び込んでみませんか?


思ってもみないような「あたたかい」世界が、広がっているはずですよ。

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