2020/01/31 11:06

いつもご支援いただいてありがとうございます。TIC代表をしていました小林です。

突然ですが、このキャンプファイヤーでのファンクラブを閉じさせていただこうと思っています。

2年半前のTokyo IceHockey Channel原則有料化とファンクラブ開始。

以来、ここまで続けてこれたのはファンクラブで支えてくださっている方々と、有料チャンネルで視聴してくださっている方々がいたからでした。


ここで支援してくださった方々がいなければとっくのとうに私は折れていたと思います。

ここで支援してくださった方々がいなければ、ずっと昔、3年前にはもうやめていただろうと思います。


でも、その後細々ながら続けられた、希望をつないでやってきたのは、ここで「実際に」支援してくださった方々と、TICに関わってくれたスタッフのみんな、都連の方々、日ア連の方々、見てくださった方々のおかげです。


私自身は、傷つきながら、いっちょまえにいろんなものを背負った気になりながら、這いつくばって、泥を啜って、それでも毎日を掴み取って、いろんなそれぞれに違う「今日」を超えながら他のどんな人も経験できなかったであろう20代の前半から中盤を過ごすことができました。

すごく苦しい日が多かった。

辛い気持ちのことが多かった。

ちょっとずつでも進んだなという実感、喜びを拾い集めてやってきました。

後悔はありません。

いろんな方に支えられてこんなに長くやることができた。

過ぎた日の苦しみも、喜びも、全部分かち合ってきた。

全て私の宝のような記憶です。


感謝の気持ちというのは、どうしてこんなにも書き連ねるのが難しいのでしょうか。

なんどもなんども書いては消して、書いては消して、そして目の前にあるのは白い何も書かれていない画面です。

何を書けばいいのか全くまとまりません。

ですが、、書きたいことはわかります。

この文章を読めるのは最後まで支援してくださった方々だと思います。

これまでのことを知る権利がある方々だと思います。

ですからせめて、この5年間の話を綴れればと思います。

できる限り思い出しながら。

できる限り嘘偽りなく。


Tokyo IceHockey Channelが始まったのは、2014年でした。私が大学3年生の時でした。

私自身が始める一員となったのは、東大アイスホッケー部の部費集めのOB訪問がキッカケでした。

当時の私はちょっと動画の撮影と編集が好きな大学生という程度でした。

とはいえ、企業Facebookページ機能や種々の動画配信サービス、動画配信機材が雨後のタケノコのように出てきていた折、せっかくだからアイスホッケーの中継ができたら面白いだろうなと思っていました。


そんな時にOB訪問した先が私より46年年上のOBで当時67歳の坂井さんでした。

坂井さんは40年ほど前にテレビ映像のテロップCG(文字やグラフィックなどの情報)を挿入する機械を開発して日本のテレビ局にそれらを売ることから会社を始めた方です。


本当か嘘かわかりませんが(どちらかというと話は4分の1くらいに捉えるのがいいでしょう)、安田講堂を燃やして(学生闘争のころに大学4年だったそうです)就職できなくなったので結果的に会社を作ることになった。というのが坂井さんの定番トークの1つでした。


何れにせよ、おじいちゃんとは思えない爆発的な行動力、企画力、粘りは凄まじいものがありました。

その点、本当に尊敬しています。


一方で、敵を作りやすいところや、自分で敵だと認識した相手とは妥協できないところ、初期の企画は良くても持続しないところ、数字に適当すぎるところなどは私自身見ていて反面教師にもなったところがかなりあると思います。

坂井さんの強みがそのままで、弱みをどうにかうまいこと丸めるというか付き合うことができれば彼は孫正義にも匹敵する起業家、事業家になれた可能性もあったのだろうなって。思います。


さて、そんな坂井さんの会社の向かいのネパールカレー屋でOB訪問をして、

「中継したいと思っているんです」

「奇遇だね!私もだよ。できないか話をしているところなんだ」

と意気投合したのが、2014年の6月頃でした。


「じゃあ、やります!部活同期の段林は都連学生委員だったのでやりたいと思うかもしれません」

「だったらやろう!!」


そんな感じだったと思います。
半世紀ほども年齢が離れた大学生と、おじいさんのタッグが形成されたのです。

他には、早稲田の水球部だった川村まあこ(当時4年生)と、早稲田OB会から市川恒美さんが加わってこの5人がTICの本当の初期メンバーになりました。まあこは坂井さんが2013年くらいに通っていた早稲田スポーツ大学院の平田研究室からの知り合い、市川さんはバンスターというOBチームからの繋がりでした。

坂井、市川、小林、段林、川村の5人でした。


2014年11月22日、リーグ戦最終日に初めての中継トライアルをしました。ちなみにこの時、私たちは一切撮影や配信には関わっていません。坂井さんが当時会長を務めていた映像制作の会社を自費で動かして無料中継を行ったのです。私たちはSNSの投稿管理だけをしました。


目的としては、どれだけの視聴人数がいるかを測定するということだったのだけれど、当時全く他の動画媒体がなかった中で、アイスホッケーという狭いコミュニティの中ではまずまずの露出を得ることができました。

それで本格的に準備をはじめることになったのです。


坂井さんがクレジットカードを僕にポンと渡して言います。

「じゃ、機材買ってきて!」


何をどこで買えばいいと言うのでしょうか。全くわかりません。

幸い、スイッチャーと言われるメインの機械を誰から買うかは決まっていました。

東伏見のリンクに行って機材設営して中継できるか頑張る毎日。


入力端子と出力端子がわからなかったり、

映像信号の種類をわかっていなかったり、

機材が足らないたびに買い出し(毎回金額が大きい)にいったり


「いや、マジでほんと無理だろ。なんで誰も教えてくれねえんだよ?」(色々事情はあったみたい)

ってブツブツ段林と文句を言いながら、それっぽく映像がインターネットに流せるようになったのは設営を初めて三日目でした。

できないとは一度も思わなかったけれど、部活もあってほぼ連続徹夜状態でうまくいった時はとても嬉しかった。


さて、徹夜を続けまくっていると精神も肉体も狂ってきます。

三徹、四徹を繰り返した結果、ちょっとこれは続かないよね??となり、

私と段林は一緒に住むことになりました。

厳密に言うと、

例のネパールカレー屋の上のビルの2~5Fを坂井さんが借りて住んでいたのでそこに住むことになりました。

坂井さんとまあこも住んでるのでシェアハウスと言えるのでしょうか?

まあ居候です。


奇妙な共同生活の始まりです。


坂井さんは料理が好きです。

坂井さんは料理がマジで下手です。

すぐ揚げ物を作ります。そして掃除しないのでガスコンロはべったべたです。

床もべったべたです。

冷蔵庫には半年前の溶けたレタスとか、氷河期からあるんじゃねえかって言う謎の肉が入ってます。
36時間以上炊飯器で保温されていた臭い米が平気で出てきます。


作業してると嬉しそうに

「食べるか?」

と聞いてきます。断れません。

と言うか最初の頃は断れませんでした。

段林と目を見合わせながら

坂井さんが一億回くらい同じ話をしているのをできるだけ流しながら

同じようになんだかエグみのある物体を流し込んで食べるのでした


ゴキブリとホコリとネズミと四人の共同生活でした。

知ってますか?ネズミって夜行性なんです。

梁の中の電線だか木だかをゴリゴリ削るのでうるさいです。

起きたら枕元にゴキブリがいるってどうですか?

まあ、慣れます。愛しいまである。

それは嘘だけど。

ホコリが多すぎると年中花粉症になるってのはほんとです。


とりあえず、住環境が悪すぎで坂井さんと一緒に住んでいた時は本当に体調が悪かったのは確かです。


そんなこんなでぐちゃぐちゃだったのですが、新しいことを始めているんだって気負いだとか期待だとか楽しさとかがあってこの頃はとっても楽しかった思い出があります。

いろんな大学新聞部の人が入ってくれて、書き物系の取材もしたり。

竹淵っていうなんかキモいカメラマンが来たり。

竹淵vsちえのカメラマンファイトとか。

ゆーみんが来たり。

とりあえず界隈の変な人がどんどん入ってくる変な磁力のようなものがありました。


そして、坂井さんは時々現場に来てはカメラのケーブルに引っかかって転んでカメラを壊したりしています。

ほんとに来ないで欲しいって思いました。


この頃は本当にボランティアでした。

無料の中継を1日5万人くらいが見てくれて、

10人くらいが交通費2000円と弁当だけで中継手伝ってくれて、

もちろんクオリティは微妙だったかもしれないけれど凄く牧歌的でいい時代だった。

自由と創造と闊達さがありました。


持っている機材だけで毎回毎回違うことをしようってセットアップを変えて、企画を考えてしていました。

選手呼んできて対談させたり。

インタビュー記事とか、速報のグラフィックとか毎回出したりしてました。


さて中継だけでなく、私と段林の部活の方でも中島仁美さんをコーチに招聘して(久しぶりの外部コーチ)、秋リーグは全敗降格したのに七大学リーグで46年ぶり(坂井さんの代ぶり)に優勝したりイベントフルでした。そんな中でボディーブローのように効いてきたのが良くも悪くも坂井さんです。


この頃、私は現場担当、ひたすら中継の業務を扱っていました。

一方で、坂井さんは金の供給元、金回りを今後どうするか考える担当、そして、渉外担当でした。

やたらめったら敵を作ってしまう渉外担当でした。


正直、私も200回くらいは「このジジイ殺してやろうか?」ってマジで思ったことがあります。でも、なんだか結局、変な愛嬌みたいなのがあるし、まあ変な人だし仕方ないかなって思う自分が最後は勝るのです。底のところでは坂井さんを尊敬しているのでした。部分的にですけど。めっちゃ振り回されましたけど。振り回された結果の26歳の私が今ここにいるわけで、まあそこは自分で選んだことです。


私なんかは男子校で変な奴しかいない中で育ってきたので変な人に鷹揚な(誰様だよって言い方ですね)一方で、変人な坂井さんを受け入れられない方々はたくさんいらっしゃいました。まあ普通そうですけど。当時その中でも最もバチバチやってたのが都連の当時の会長です。個人的に坂井さんのことが嫌いだったみたいです。

何があったのか。まあ色々ありましたが正直どっちの気持ちもわかるなあというのが今の気持ちです。


さて、坂井さん嫌い勢は坂井さんに八つ当たりしてくればよかったのですが坂井さんは暖簾に腕押し、坂井さんがTICをやっているのでTICに嫌がらせをしよう!となったのか、とりあえず印象は最悪なまま。こちらはほぼほぼ初期の負の遺産といっても過言ではありません。

設営のたびに、睨みつけてきます。やりずらいです。


そんな中紛争勃発のきっかけとなったのが、「解説による審判批判事件」です。2015年秋の早稲田vs明治の試合。多分1周目だったかな。その前の試合が東海大学と大東文化だった気がします。東海のコーチが試合後お時間いただけるということで、早稲田明治の試合の解説に来ていただけました。その中で、1分くらいまるまる審判批判をしてしまったのです。


私と市川さんは裏で目を見合わせました。これはちょっとやばいかもしれない。

人数ギリギリでオペレーションしている都合上、実は常時オンエアを確認する人員がいないという革命的なことをしています。そうやって人数を削っているのでした。なので、そもそも話している内容に気づくのも遅れました。

市川さんがNGコールを出してそのくだりは終わりましたが、後で審判委員会から猛抗議を受けることになります。


さて、繰り返しですがどっちの気持ちもわかるんです。

解説の方も前の試合がだいぶ荒れて、フラストレーションが溜まっていたんだと思います。

審判の方々もほぼほぼボランティアみたいな形でやってやってるのに何を偉そうに!って思ってるってことですよね。わかります。


この時は、再発防止策(結果的に自由度がとても減ることになりました)を提示して収めましたが、腹の虫が収まらなかったのでしょう。2016年の春は中継できませんでした。


そう。中継するな!ってなったんです。びっくり。覚えている方もいらっしゃるでしょう。

さてどうしたものかなとなったのですが、中継できませんという投稿をしたら都連に批難の嵐が轟々、結局春の最終戦からは中継をすることになりました。

この頃、時々勝手に坂井さんがFacebookPageに投稿する問題がありました。他の投稿と比べて文体が違うので違和感があります。この中継中止の批判投稿をしたのも坂井さんでした。だいぶ神経逆撫で系のやつです。もっと柔らかい方法なかったのかな。。。


実はこの時、補助金不正受給事件調査なるものを日本アイスホッケー連盟で監事をしていた坂井さんが担当していました。担当していたというか、わざわざ掘り当ててきて突っつき回してました。そう。対象は昔、日本アイスホッケー連盟中枢にいてその時都連幹部だった数人です。坂井さん、インテリマフィアなので人と戦うとなると燃えるらしいです。武闘派です。ちょっと面倒。。。外野だったら面白かったんでしょうけど、外野じゃないのでヒヤヒヤものです。

そんなこんなでとある都連幹部(今の都連関係ないです)vs坂井の構図はそのまんま、春の中継中止という結果につながったわけです。


結果としますと、坂井さんはこの件をつっつきにつっつきまわした結果粘り勝ちしました。

このtenacityというか粘りは本当にすごい。僕にはできないんじゃないかって思いました。そんなに人と喧嘩したくないですし。

関係者の処遇みたいなのにこだわっていましたが、それも粘った結果、都連の上部にどっかり腰を10年くらい据えていた方々には一旦引退していただくことになりました。解決?なのでしょうか。

3年半以上が経って思い返すと、結局この時の恨みみたいなものを引きずってきてしまっているのでそれで後々苦しくなります。


TICの資金繰りは1年が過ぎたころ急激に悪化します。TICの資金繰りというか坂井さんのポケットマネーです。

もちろんここまで売り上げゼロ。

お金担当坂井

運用担当小林

だったので、全てお任せしていたのですがどうやらやばそうというのは市川さんがポロっと

「坂井さんいつお金返してくれるんでしょうね」

と東伏見のリンクでこぼした時でした。

そう、坂井さん個人はいろんなところからお金を引き出してやりくり、

TICの現場費用は市川さんがだいぶ立て替えてました。

僕も機材更新とかで壊れた機材を立て替えて買ったり、金は返ってこないカモですが仕方ありません。ないとできないもの。


そんなこんなで限界だと思ったので、私の方でも坂井さんと相談してお金が入る方法を模索し始めます。

とりあえず、アーカイブ視聴を有料にしました。500人程度いれば赤字にならないはずでした。

ただ、試合動画は生放送に価値があります。アーカイブに課金したのは60人くらいでした。


2016年の夏、サマーカップの中継をしようとクラウドファンディングをしました。だいたい60万くらいで1週間の苫小牧への撮影班遠征をできるはずでした。いろんなリワードを考えました。それまでの試合を一枚一枚手焼きでDVDにする、だとか、ステッカー作ったりだとか、ブランケット作ったりだとかしました。100万円のクラウドファンディングでしたが当初ウンともすんとも言いませんでした。最後の5分くらいでリワードなしで20万入れてくれた方がいなければ達成しませんでした。感謝の涙です。2016年8月30日、すでに現地入りしていた苫小牧は台風でめっちゃ警報がなっていました。ギリギリ達成した時はホッとしました。結局遠征だけで、110万くらい使ったので赤字になりましたけど。


本当に地獄だったのはリワードの作成です。DVDは希望試合を作成するということでしたが、見事に作るDVDがかぶりませんでした。55パターンくらいのケースのデザイン、盤面デザイン、動画データのDVDデータへの変換、そして転写をしなければなりませんでした。DVD制作ソフトも、2010年代にそんな時代遅れなことするなよジャップ!とばかりにサポートが終わっていて全く動作しません。DVD焼くためだけにパソコンを買ったりしました。焼いたDVDも歩留まりがめっちゃ悪かった。郵送する作業もとっても大変だった。全部で800時間くらいかかりました。ひいひい言いながら結局一年弱もかかってしまいました。本当に申し訳ないと思っています。その時間、バイトでもすれば金になるのにな、なんて思いながら作業するのがめっちゃ辛かった。


一緒に始めた段林は、この頃就職していて、もっというと大学の同期とか友達とかは就職していてそれなりにお金をもらっているわけです。

「段林、逃げやがって」

とか

「でもおれ何してんだろうな」

とか

「こんなことするために生きてるんだっけ?」

とか

「もっと大きなことするために生まれてきたはずなのに」

とか

負の感情が芽生え始めたのはこの頃だったと思います。頑張って押し殺そう、見せちゃいけないと思いつつも悲観的な僕がそこにはふと出てしまうのでした。


そんなこんなと、2000円の低日給と、なんか都連の一部の人や一部の村の人と仲がよろしくないとかいろんな逆スパイラルが回り始めました。

「あそこマジブラックらしいよ」(まあ当時はほんとそうです)

「小林がめっちゃ女の子と遊んでるらしいよ」(普通に嘘です。遊びたかったな)

いろんなこんなで新しいスタッフが来なくなります。

3人くらいでオペレーションしている日もあるくらい。

そしてお金もない。

残っている人は楽しくやっていてくれたのでそれが救いでした。

まだ、夢と希望はある。


首の皮一枚繋がっていたのは、2016年の全日本選手権の中継、2017年の平昌五輪最終予選の中継などで日本アイスホッケー連盟から仕事をもらえていたからです。


2017年、転換点の年です。

私と坂井さんは今だに一緒に住んでいましたが、

ガスが通らなくなりました

水道が通らなくなりました

電気が消えました

あーやばいんだなって流石に思いました。

住環境は悪化する一方。体調が悪くなり、精神状態も良くありません。

坂井さんは破産したみたいです。

東京地裁からの郵便見たことありますか?

自分のじゃなくてもまあ割とえげつないです。

特伝郵便配達員が家の前で待ってます。

「坂井さんですか?」

「いえ、違いますけど。。。。」

重くて大きい封筒です。社会からの失望を感じるような気がしました。

家の中に借金取りかなんかわからないけれど入ってきたことがありました。

押し入れに隠れました。


それでも一緒に住んでいたのは、むしろ坂井さんが心配だったからでした。

時々活動的な坂井さんは、活動的でないときは呆けたみたいになってしまっていました。

やばいな。死んじゃったら悲しいなって。

でも、結局坂井さんは家にも帰って来なくなります。その時点で私は、その家を引き払ったのでした。


2017年秋、スタッフに時給を払うことにしました。

一時的にでも有料課金にして、スポンサーを集めてすることにしました。

もう坂井さんはいません。

私と市川さんでどうにかするしかないのです。

いえ、もっと早くこうするべきだった。

もっともっと早く、金銭面での主導権を取るべきだった。

もっともっと早く、私と市川さんでいろんな人と話すべきだった。


後悔するのはいつだってやってしまったことより

「やらなかったこと」

です。もっといろんな人と話しをしておきたかった。

一緒に夢を希望を語りたかった。

まだまだもっといろんな人を巻き込めたはずだなって思います。


2017年秋、手元残金は60万くらいでした。ちゃんとお金時給でを払ったら3週間で無くなる金額です。

そんな時に助けていただいた元Slapfreaketの小谷さん。ありがとうございました。一生忘れません。


さて、その後はほぼ知っての通りかと思います。

有料課金のお金と、市川さんと私の補填と、時たまの日本アイスホッケー連盟からのお仕事でなんとか繋げてやってきました。


有料チャンネルにしてしまったことによって、活動意義が薄まってしまった。

時給を払うことによってむしろアルバイト化してしまった。

金を払うからといって責任感が生まれるわけじゃない。(ブラックではなくなった

年数を経るに従って活動の柔軟さ、発想、闊達さが失われた。

結局、自分にもお金が入らないとフラストレーションは溜まり続ける(現在進行形)

大会主催でもない限りスポンサーはとりずらい

インターネットと現場を合わせた商材こそ意味がある

等々の反省はあります。


一方で、学生の成長機会の場所としてこれ以上の場所はないととても思います。

日本のアイスホッケーという狭い範囲だけれど目指したい夢がある。

それを達成するための技術を習得できる。

そこに向かって組織運営をしていく能力を得られる場がある。

もっと大きな社会を良くするのに必要な能力も結局大して変わりません。

どのフィールドで戦うか、それだけです。


日本アイスホッケー連盟の中のメディアチームとして整備しなおせば、僕が苦しみ続けた多くの構造的問題が解決しやすくなります。

連盟がメディア発信能力を持つことができる。

もし、学生の間、ここで能力をつけて社会人として働いてまたいつか連盟であったりコミュニティに関わってくるために戻ってくるという流れを作ることができれば今まで問題となってきた中核部分での人材不足が徐々に解消されるはず。

そう思っています。


だから、市川さんと私でケツ持ちをするのはこれで終わりにします。

後に託したい。後にたくせるように模索したい。

時間はあまりありませんが、なんとかしようと思っています。



最後に。

本当にたくさんの人に感謝したいです。


段林

ありがとう。また奢ってな。就職するまではたかりに行くよ。


竹淵

キモいキモい言ってたけど、まあ嫌いじゃないよ。


島貫

うちからマジでアナウンサーになったの本当にすごいよ。

今度アナウンサーとの合コン組んでね。


大野

実は色々任せてたなって。坂井さんが。要所要所本当に助かった。

実は責任感あるよね。ない風ふかしてるけど


笹原

笹の後半2年くらいもらっちゃったね。どうかな。意味があるものだっただろうか。


まっちゃん

もっと中継来て欲しかったなぁ。温泉と山は行こうね


ゆーみん

ホッケー好きで、いろんな人を連れて来れて本当すげえなった思ってました。

人生いろいろだけどゆーみんは幅が広くて尊敬です。最後LINEでマジギレしてごめん


しょーのちゃん

最初の頃が一番活発だったのはしょーのちゃんの熱があったからだなって。

懐かしい


かとゆり

時々キレさせてごめん。でも頼りにしてました


わこ

人生楽しんでる?シンガポールから帰ってきたら話ししたいね


いずみーる

苫小牧でみんなクッソ飲んだ夜は忘れないよ。

覚えてるかわからないけど。


ひな

かとゆりの巻き込みだけど、めっちゃ来てくれて嬉しかった。


すずな

最近元気?まだホッケーしてるといいな


工藤

人生近道はないんだぜ。まあゆるゆる行こうよ。


小野塚&清水&のりこ

巻き込みごめんね。

ゴキブリ大変だったよな。

仕事押し付けてごめん


石井

仕事押し付けてごめん。本当。

最後の方は俺がずっと情けなかったなって思う。

色々迷惑かけちゃったな。人生どこかで絶対返すよ。本当。

拾いに行くから


のぞむ

のぞむも石井と一緒。

向いてない役割押し付けちゃったね。ごめん。

でものぞむがいてくれてよかった。

のぞむがいなかったら2018年からは続けられなかったよ。


市川さん

迷惑かけてごめんなさい。わがまま言ってごめんなさい。若造が無理言って、適当な事言ってごめんなさい。結局、市川さんがいなければ何もできませんでした。

本当にありがとうございました。


坂井さん

生きていてください。

以前、坂井さんが生きていて僕が結婚することがあれば絶対に来て欲しいって言ったんですけれど今も変わりません。

坂井さんはいい面も悪い面も僕の一番最初の師匠です。

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