店舗オーナー、私の母について

まず、こちらを書いているのがオーナーの娘であること、ゆえに母の記載が多くなってしまうこと、ご理解いただければと思います。


母は、20年ほど前に夫(父)を亡くしています。

日本に来て数年、まだ頼れる人もいない状態。外国籍ゆえの差別的な扱いを受けることも多い中での、女手一つで二人の子を育てることは、想像を超える大変さだったと思います。

そんな環境ではあるものの、生きていくために「店、やっちゃうかー!」となったようです。

見た目通り、考えも破天荒な母。船橋で厚底靴に赤髪ライオンヘアーの原色服でチャリに乗る60歳がいたらそれは母です。


当時一人で寝られない年齢だった私は、よくお店で寝かしつけられていました。

去年、兄夫婦に子が生まれ、母に初孫が出来ました。母はお店で初孫を愛おしそうに抱き「あんたもこうやって寝かせてたわぁ」なんて言っていました。プロジェクト画像は、その時の写真です。


徐々に愛される、信頼のあるお店へ

もちろん最初はガラガラのお店。高いお金を払って雑誌の隅っこに載せてもらうような、そんなお店です。

それでも睡眠さえまともに取れない中がむしゃらに働く姿に、少しずつ常連のお客さんがついてくるようになります。

常連さんのアドバイスで味付けを変えてみたり、内装を変えてみたり。今のお店の人気は、昔から支えてくださっている常連さん一人一人のおかげでもあります。

「安く、おいしく、お腹いっぱいに」を守り続けて二十年以上。

今では行列の絶えない、雑誌やメディアでも取り上げてくださるような、母の努力が実ったお店となりました。

私と兄も成長し、お店を手伝えるほどになりました。幼い娘をよく知る常連さんを、その娘が接客する姿が感慨深かったようで、母が誇らしそうにしていたのを覚えています。

多額の借金も返し終える頃、兄がお店を継ぐことも決まり、このまま母は安心して少しずつ休める人生になるといいなぁ。と思っていたのに…

「隣のテナントが空いた!また借金して二店舗目やるわ!」「その次はここの建物と土地を買うからね!もうすぐ!」と宣言する母に、このお店への愛情と生きがいを感じつつ、そのパワフルさにちょっと引く私と兄でした。


12月4日

母と兄が泣き崩れる姿を見たのは人生で初めてでした。

普段は日本語の母が、「엄마(お母さん)」と親に助けを求める姿が子供のようで、炎よりもその姿を鮮明に覚えています。燃えるお店に入ろうとする母を押さえ、ただ燃えていく思い出の地を眺めることしか出来ませんでした。

2階へ続く階段は崩れ、全てが黒になった店内。来てくださった著名人の方々のサインや、家族の思い出の品も消え、残ったのは焦げとその臭いだけでした。

外装がレンガだったことで周辺店舗への移り火もなく、お客様や従業員にも怪我がなかったこと。これだけが幸いです。


ただ、出火責任がいくらお店側になくても(出火原因は事情により控えます)、死傷者が出ない限り損害賠償は請求できないこと。それでも「火事になったお店」である以上、もうここを借り続けられないこと。いつの間にか、進んでいた未来が絶たれたこと。母の人生の証が消えたこと。あんまりだよ〜

いろんなことがただ悔しかったです。


座り込んで燃える店を見ている最中、お店を長年支えてきた常連の皆さんが、何人も集まって来ました。涙を流す人、消防の対応をしてくれる人。いつでも力になってくださる皆さんに、心が救われました。


守るべき従業員達

そして何よりも母の背中を押したのが、従業員達の存在です。

多国籍すぎる飲み会

うちの従業員はすんごく多国籍。日本、韓国、ベトナム、ネパール…

母国の家族を養うため日本に働きに来た若い子もいます。そんな子達を、母は自分の子供のように可愛がっていました。そしてみんなも「二人目のママ」と言って、母を慕っていました。


従業員達は貴重品などの荷物も全て燃えてしまったどころか、働く場所が無くなっています。

それなのに「自分たちのことはいいから、ママはママのことだけ考えて」「これまで守ってもらったから」と言います。

火事後、二店舗目で出た給料さえも、全ての従業員が「見舞金」として母に渡したそうです。こんな話あるんだ…!?

もちろん、受け取らずになんとか給料として渡せたそうです。

火事以降泣いてばかりだった母が、みんなを守らなくてはと動き始めたのは、この頃からでした。


母、やはり強し。

火事後、最初の会議。

眠れない日が続きながらも「睡眠不足には慣れてる。あんた達を残してお父さんが死んだ時の方が辛かったし、まだいける」と、謎理論で突き進む母に、改めてパワフルを感じました。とんでもない60歳です。


お店を再建するために決まったことは、5つ。

・燃えた備品を再購入すること

・2号店だけでは客数に対し、席数も倉庫も足りないので、再建まで臨時の店舗を借りること

・臨時店舗の改装をすること

・2号店と臨時店舗で、全員の雇用を続けること

・新しく土地を買い、建物を建てること(今の場所はもう借りれないので)

果てしない………

今回は、この備品の再購入に資金を充てさせていただきます。


臨時店舗を借りるのも、出火原因なんかは関係なく「あぁ、火事になったお店ね」と、どこも貸してくれず(仕方ないんだけど)非常に難航。

時間はかかりましたが、無事に母の友人のお店を借りることが出来ました!

現在ある店舗の情報は、最後に記載させていただきます。


これからは母一人でなく、家族で一から、再スタートをしようと思います。頑張るぞー!

いつかはきっと「こんなこともあったね」と話せるように、私の提案で家族写真を撮ってみました。全員感情がごちゃごちゃで全焼とは思えないポーズしてるけど、うちの一家らしくていいなと思っています。

火事3日後。ピースもグッドもおかしいよ



一部リターン紹介

お店に来て使っていただけるお食事券などの他にも、お家でも丸い月の味が楽しめるセットを作りました!

店舗で販売して欲しいという声が沢山あったものを、今回クラウドファンディング限定で販売いたします。


【みんなが注文する浅漬けキムチ、「ゴッゾリ」が家で作れる!】

丸い月で大人気のゴッゾリのタテギ(調味料)をお届け。普通の韓国料理屋でもあまり見かけないゴッゾリは、当店自慢の人気商品です。

お家で5分もあれば大量に作れて、ヘルシーで、追加の一品にもおつまみにも最適です!

細かい作り方はリターンページに記載してます。


【お店の味が家で作れる!「プルコギ用漬け肉」】

丸い月でも大人気の逸品料理、韓国の家庭料理のプルコギ。お店でたっぷり漬け込んだお肉をお届けします!

お好きな野菜と炒めるだけで、お店と同じ味の豪華な一品が完成します。お肉が柔らかくて最高ですよ…

再冷凍してもさほど味も落ちないので、何回かに分けて作っても大丈夫!

細かい作り方はリターンページに記載しています。


【丸い月といえば焼肉。お家で焼肉パーティしよう!】

お肉!お肉!お肉!

お店に来なくてもお家で丸い月のお肉が堪能できます。赤身が程よい「ちょうどいい肉盛り」と、ひたすら特上を集めた「贅沢特上肉盛り」をご用意。

フライパンでも美味しいし、この肉盛りでBBQするのもいいですね!

細かい内容はリターンページに記載しています。


【お食事券がお使いいただける店舗】

・丸い月 望月店(二号店)

定休日なし 営業時間 AM10:00〜AM2:30

〒273-0005 千葉県船橋市本町4丁目39−5

・丸い月 新月店(臨時店舗)

〒273-0005 千葉県船橋市本町4丁目37−9

オープン6月頭予定 営業情報 随時更新

スケジュール

6月      クラウドファンディング終了

       臨時店舗 新月店開店予定

6〜7月   メール、動画、食事券のリターンお渡し

7〜8月   食品系などのリターン 配送開始

2025夏頃 新店舗 開店予定(望月店、新月店より徒歩圏内予定)


資金の使い道

業務用エアコン8馬力  :   530,000円✖️4ヶ所

無煙ロースター洋卓ダクト遮断装置付  :  242000円✖️12台

業務用冷蔵庫・冷凍庫 : 16万〜35万✖️9台

総計約730万円

総店舗開店に向け、燃えた備品を再購入する際の金額の3分の1の額を目標金額としています。


母(オーナー)と兄(次期オーナー)から


母:このお店は、二人の子供と同じくらい私の生きがいでした。夢半ばで全焼しましたが、このクラウドファンディングで皆様との繋がり、あたたかさを実感し「こんな道も通ってよかった」と思えるようになると確信しています。ぜひ、応援よろしくお願いいたします。


兄:母の証を継ぐ者として、このお店を守っていきたい一心で、今私たちにできる精一杯のリターンを用意させていただきました。既に丸い月を知ってくださっていた方、そうでない方も、これを機にお店の味を堪能していただけると嬉しいです。


プロジェクトオーナー、店舗SNS

https://twitter.com/kutsuzawa_desu

https://twitter.com/maruitsukikite

<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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