▼はじめに&ご挨拶!

こんにちは、きずな出版・編集部の澤と申します。このページをご覧いただき、ありがとうございます。
このたび、分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」をはじめとしたロボットテクノロジーを通じて人々の孤独を解消し、だれでも社会に参加できる世界をつくるために日夜活動しているロボットコミュニケーター、吉藤オリィさんの著書の企画・編集を担当しました。

オリィさんと初めてお会いしたのは2018年5月です。初対面から猛スピードで未来の社会の姿や、テクノロジーが果たす役割を熱弁するオリィさんに感銘を受けた私は、「この人の話は本にして世に出さねばならない!」という使命感を抱きました。

それから半年以上が経ち、ようやく2019年1月に発売されることとなったのが、こちらの書籍です。

▼このプロジェクトで実現したいこと

オリィさんはつい先日まで、日本財団、ANAと協力して、世界初となる寝たきりの人達が働ける「分身ロボットカフェ」を実験オープンさせ、国内外から80媒体以上の取材が殺到するなど、いま各界からもっとも熱い視線を集めているロボット開発者です。

メディアへの露出も増えていますが、まだまだ彼や彼の考え方を知らない人も多くいます。私は本書の担当編集者として、この本の内容に絶対的な自信を持っていますし、オリィさんのことをいままで知らなかった人にこそ読んでいただきたいと考えています!

このページをご覧になっている皆さんはネットに親しんでいる方ばかりだと思いますが、本当に本書を幅広い方に読んでいただくためには、新聞広告で目にしたり、たまたま書店での展開から本書に興味を持っていただける、比較的年齢層の高い方々にも届ける必要があります。

せっかくオリィさんの考え方を多くの人々に伝え、社会を変える契機になりうるこの本を知ってもらうチャンスを逃したくないとも考えています。そのため、発売までのわずかな時間ではありますが、このようなクラウドファンディングを通じて、皆様のお力をお借りしたいと切に望んでいます。

とはいえ、この本がどんな内容なのか、この本を人々が読むことでどんなことが起こることを期待しているのか、まだよく把握できていない人もいると思います。

そこで、本書の著者であり、オリィ研究所の所長であるオリィさんから、本書にかけた意気込みをいただきました。また、このページの最後に、本書の「プロローグ」を全文公開しています。ぜひこちらを読み、ご賛同いただけましたら、ご支援ください。


▼吉藤オリィからのメッセージ

こんにちは
オリィ研究所所長の吉藤です。OriHime(オリヒメ)という、片手で持てるサイズの、人間の分身となる遠隔操作ロボットなどをつくっています。よく間違われますが、これは人工知能(AI)ロボットではありません。動かすのは遠く離れた人間です。

OriHimeはスマートフォンやPC端末で操作できます。たとえば病院や自宅から出られない人達がこのロボットを操作することで、通学や出社が可能になります。

また、このロボットは「OriHime eye」という我々が開発したツールを使う事で、眼だけでPCのカーソルを動かしたり、文字を入力したりできます。これなら体が動かない重度の身体障害者の方でも、他の人と意思疎通ができます。ほかにも世界各地のイベントに参加して写真を撮影したり、また赤外線リモコンを使ってテレビのチャンネルを切り替えたりといった環境制御も可能です。

OriHimeのボディを大きくし、自分で動いたり、物を持ち運んだりできるようになった新型が、「OriHime-D(オリヒメディー)」です。

まだ一般的な製品化はされていない研究モデルですが、このOriHime-Dを使えば、寝たきり状態の人でも遠隔操作で自分の周囲や離れた場所を移動し、ものを運ぶことができます。たとえば友人を病院の入り口まで迎えに行って自分の病室に案内するといったことが可能ですし、冷蔵庫を開けて飲み物などを出してあげることも可能です。

私がこうしたツールを開発している理由は、人間の「できる」ことを増やすことによって、未来に対してポジティブになれる人を増やし、この世から「孤独」を解消したいからです。

人は高齢化や病気、ケガなどで、いままで「できた」ことができなくなっていくとき、絶望にも近い悲しみや将来への不安を覚えます。しかし「できない」と思っていたことが「できる」に変わった瞬間、未来に希望を持つことができます。

これは身体障害者の方だけの話ではありません。昨今は「人工知能が人間の仕事を奪う」などという話題もありますが、もしそうした社会になっても、テクノロジーを活用すれば、人間の「できる」ことはさらに増え、自分の存在意義を見出して、前向きに未来を見れるのです。だから私は不可能を可能に変えるテクノロジー、ツールをつくり続けています。

人工知能や文明の発達をとめることはできませんし、そのスピードはさらに加速し、「人間とマシンの融合」「リアルとネットの融合」は進んでいくでしょう。この本では、そうした社会における心構えと、生き方、人々の役割に対する私なりの考えをまとめました。

将来、人口減少により我々の老後に介護してくれる人手はなく、動かなくなっていく身体を家族に面倒を見られながら、天井を見つめ続けるのが我々の避けられない未来でしょうか。
否、我々は例え老化や病気で身体が動かなくなっても行きたい場所へ行き、仲間との時間を過ごし、死ぬ瞬間まで誰かに必要とされながら「自分らしさ」を失わず生きたい。

”不可能”をどうすれば”可能”に変え、自分の望む人生を生きれるのか。本書「サイボーグ時代」は、これまで「そんなもの」「こうであるべき」と言われ続け、他人の顔色を窺い同調と我慢を強要されてきた昭和平成の時代から脱却し、自分に向き合い、意志に基づいて身体を拡張し、心からやりたい事を実現させる次代の考え方に自分をアップデートさせる一冊です。

吉藤オリィ

▼吉藤オリィについて

1987年、奈良県生まれ。
株式会社オリィ研究所 代表取締役所長。

小学校5年から中学校2年まで病気と療養で不登校を経験。工業高校にて電動車椅子の新機構の開発を行い、国内の科学技術フェアJSECにて文部科学大臣賞、ならびに世界最大の科学大会ISEFにてGrand Award 3rd 受賞。その際寄せられた多くの相談と自身の療養体験がきっかけとなり、「人間の孤独を解消する」ことを人生のミッションとする。

その後、高専での人工知能の研究を経て、早稲田大学在学中に自分の研究室「オリィ研究所」を設立し分身ロボットOriHime を開発。米Forbesが選ぶアジアを代表する青年30名「30 under 30 2016」などに選ばれ、その後も視線入力PC「OriHime eye」、バリアフリーマップ「WheeLog!」、視線入力車椅子、吉藤の発明イベント「オリィフェス」、分身ロボットカフェなど、「これまでの不可能が可能になる発明」を発表し続けている。
前書「孤独は消せる 」(サンマーク出版)は、日本医学ジャーナリスト協会の書籍部門 優秀賞を受賞。
現在は31歳にしてデジタルハリウッド大学院で特任教授も務める。


▼本書の「プロローグ」を全文公開します

本書の発売は2019年の1月22日ですが、このページを見てくださった皆さんには本書がどんな本なのかをより深く理解していただきたいと考えています!

そのため、会社の許可を取り付けて、プロローグを全文公開いたします。プロローグは14ページあり、長いので、このページの一番最後に記載しています。

ぜひそちらもお読みください!

▼Facebookの秘密グループ「日本サイボーグ化プロジェクト」

こちらのプロジェクトにご支援いただいた方は、本書を通じた情報発信をするグループ「日本サイボーグ化プロジェクト」への参加資格を得られます。これはFacebookの秘密のグループで、以下のような情報交換、情報共有を行っていく予定です!

・新聞広告、書店イベントなど、プロモーション活動の報告
・各地の出版記念講演会の企画の募集
・吉藤オリィのメディア、講演会の出演情報の共有
・メンバー同士の活動報告(Amazonにレビューを書いたよ、ブログで本を紹介したよ、YouTubeに動画をアップしたよ、知り合いの人に勧めたよ……などなど)
・単純に本書の感想を共有、意見交換
・書籍にからめたアイディアの提案

本書を広めるための情報交換の場としてはもちろん、本書を通じて集まった皆さんで交流する、1つのコミュニティとしてご活用ください!

▼ハッシュタグ「#サイボーグ時代」

当プロジェクトを支援いただいた旨を、当URLと共にTwitterのハッシュタグに投稿いただけますと吉藤オリィ氏に通知が行き、もれなくlike、あるいはRTさせていただきます!

▼リターンの一覧

※リターンの本について、もし金銭的な支援はしたいけど本は必要ないという場合、その旨をご連絡いただけましたら、必要な分だけお送りし、残りの分は全国の図書館や、学校、施設などに寄贈させていただきますのでお申し付けください。


▼実施スケジュール

『サイボーグ時代』は2019年1月21日ころから全国の書店に並び始めます。書籍はその日までに皆さまのお手元にお届けできるよう、準備してまいります。

すでに書店さんなどからイベントの打診をいただいていますし、2月17日には出版元のきずな出版が主催する講演会でオリィさんに全力でサイボーグ時代を語っていただきます。発売に向けてさまざまな告知企画を考えていきます。

オリィさんの活動や「サイボーグ時代」を応援したい方、テクノロジーに対するオリィさん考え方を一緒に広めていただけましたら幸いです。


▼サイボーグ時代、プロローグを特別公開!!

プロローグ「テクノロジーとはなにか?」

このロボット、名前をOriHime(オリヒメ)という。片手で持てるサイズの、人間の分身となる遠隔操作ロボットだ。よく間違われるが、人工知能(AI)ロボットではない。動かすのは遠く離れた人間だ。

OriHime はスマートフォンやPC端末で操作できる。たとえば病院や自宅から出られない人たちがこのロボットを操作することで、通学や出社が可能になる。内蔵されたカメラで周囲の様子を見られて、マイクやスピーカーで、ほかの人と会話も可能だ。

私の親友、故番田雄太は4歳のときに交通事故で脊髄を損傷し、それから20年間、岩手県盛岡の病院で呼吸器をつけて寝たきり生活を送っていた。だが、彼はあごでペンマウスを動かしてパソコンを操作し、OriHime を使って私と共に働き、全国を講演して回った。OriHimeはいわば、番田にとってのもう1つの身体だ。

重度障害で体が動かせなくてもOriHime を使えば”社会参加”が可能になる。周囲とコミュニケーションはとれるし、会社に毎日いてくれて文章やメールが打てれば仕事は十分できる。そして本人も一緒に働いている感覚を得ることができる。

また、こちらの絵も見てほしい。PCを使って描かれた絵だが、じつはこれはWindows に標準搭載されているソフト”ペイント”で、さらにいうと目だけを使って描いた絵なのだ。

私の知人でありこの絵の作者である榊浩行さんという男性は全身の筋肉の自由がきかなくなるALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を患わずらい、眼球以外はほとんど動かせない。そこでこの絵では私がつくった「OriHime eye」というツールを使っている。ALSの患者さんや患者会と長年共同研究して開発した、眼だけでPCのカーソルを動かしたり、文字を入力したりできる装置だ。

榊さんはALSが進行して、毎日テレビを見て生活しているだけだった。だが、このツールを用いることでPCを自在に操り、絵を描くように なり、SNSなどで作品を発表されている。

この装置を使えば、先に紹介したOriHime を視線だけで操作することも可能だ。

病室の周囲を見渡したり、鎌倉や名古屋のイベントに参加して写真を撮影したり、またOriHime 以外にも赤外線リモコンを使ってテレビのチャンネルを切り替えたりといった環境制御も可能で、榊さんはそうやって生活している。

OriHime のボディを大きくし、自分で動いたり、ものを持ち運んだりできるようになったのが「OriHime-D(オリヒメディー)」だ。

先ほど紹介した2つと違ってまだ一般的な製品化はされていない研究モデルだが、このOriHime-D を使えば、先ほどの番田や榊さんのような寝たきり状態の人が遠隔操作で自分の周囲や離れた場所を移動し、ものをつかんで運ぶことができる。たとえば友人を病院の入り口まで迎えに行って自分の病室に案内するといったことが可能だし、冷蔵庫を開けて飲み物などを出してあげることもできる。

重度障害者の人々は介助が必要となり、人になにかを「してもらう」ことが多くなってしまう。

だが、OriHime-D を使えば、注文を受けたり飲み物を運んだりなど、誰かになにかを「してあげる」ことが可能になる。これを発展させれば、将来は自分の身体の介護を自分でできる未来が来るのだ。これを書いているまさにいま、2018年12月には、10名の外出困難者がOriHime をリモートで操作し、接客を行う「分身ロボットカフェ」を実験的に行っている最中だ。(このカフェは2018年11月26日〜12月7日までの期間限定開催)

これらのテクノロジーをつくっているのが、私たちのチーム「オリィ研究所」、そしてそれを率いている私が所長の吉藤オリィだ。

いま紹介した3つは私が開発した代表作品で、これらを製品化・社会実装する株式会社の代表を務めている。私が分身ロボットOriHime の原形をつくったのは早稲田大学3年生のとき。私が昔ほしかった「もう1つの自分の身体」を現実のものにしたくて、それを研究開発するために自分の研究室、いまの会社の前身である「オリィ研究室」を立ち上げたことがいまのチームにつながっている。

ちなみに、本書の帯で私が装着しているマスクも実は新規開発中のプロダクトだ。まだ研究途中だが、タイトルである「サイボーグ時代」らしさが一番あるので採用された。


◆人が不安を覚える根本的な原因とはなにか?

なぜ私がこうしたツールを開発しているのか。それは、「できる」ことを増やすことによって、人間は未来に対してポジティブになれると考えているからだ。

人は高齢化や病気、ケガなどで、いままで「できた」ことができなくなっていくとき、絶望にも近い悲しみや将来への不安を覚える。しかし「できない」と思っていたことが「できる」に変わった瞬間、未来に対して希望を持つことができる。

少し私の話になるが、私は幼少時に3年半ほど不登校・引きこもりを体験し、「できなくなる」ことへの絶望感を経験した。引きこもりが長引き、天井を眺める時間だけが増えていき、人と会わないことで日本語もうまく話せなくなり、勉強や精神的成長の遅れを恥じて、さらに人と会えなくなる負の循環に陥る。勉強が苦手になり、人が苦手になり、笑えなくなり、健康な精神状態を維持できなくなる。

日に日にできないことが増えていくことで、「そんなことで将来どうするんだ」と言われ、今よりできないことが増えている将来のことを考えさせられることは恐怖でしかなかった。

できることが少なくなり、誰からも必要とされていない、自分の居場所はどこにもないと感じ、存在意義が見つけられなくなってしまう状態。私は自分が実体験したそれを「孤独」状態と呼んでいる。これが続くと生きる気力すら失われていく。

これは障害者や引きこもりだけの問題ではない。

普段はとくに不便もなく日常生活を送っている人でも、ふと将来が不安になったり、無気力な状態に陥ったりすることはあるだろう。とくに最近は「人工知能(AI)で消える仕事」などが取りざたされることも多くあり、そうでなくとも加齢によって身体能力が衰えていくことは誰もが経験することだ。

そうした不安や無気力の原因も、突き詰めて考えていくと社会から「おまえは必要ない」といわれること、大切な家族らにとっての「お荷物」になり果ててしまうことへの恐怖がある。しかし、新たにできることを見つけ、それによって喜んでくれる人がいて、「自分だからこそできることがある」と自覚できるようになると、人は自分の存在意義を見出せるようになり、前向きに未来を想う見ることができるようになる。

だから私は不可能を可能に変えるためのテクノロジー、ツールをつくり続けているのだ。


◆「努力と根性と我慢」による解決はもうやめよう

理系でない人は〝テクノロジー〟などと聞くと、よくわからない最先端技術のように聞こえるかもしれないが、そんなに難しく考える必要はない。テクノロジーとは、つまりは「便利な道具」のことだ。

 人がほかの生き物と大きく違うのは、道具を「使える」こと、またその道具を「創りだせる」ことだ。ツールがあることで、どんなに力が強い動物にもできない硬い岩を割ることができ、大きな獲物を得ることもできるようになる。

いまの私たちはこうしたテクノロジーを生活に取り入れることで、当たり前のように一瞬で火をつけることができ、瞬時に遠くの人とやりとりすることができる。ひと昔前だったら不可能だと思われてきたさまざまなことを、人類は可能に変えてきた。

私は「努力と根性と我慢」という言葉が嫌いだ。いや、別に自分が趣味でやっている分にはいいのだが、他人からそれを強いられることが昔から大嫌いだ。

がんばった人ほど、がんばることが好きすぎる。だからついつい、ほかの人にもその方法を勧めてしまう。

「努力と根性と我慢」というソリューションは、自分が無理をして辛いだけではない。「努力と根性と我慢」で問題を解決しようとするのがクセになると、かえって自分の可能性をつぶしてしまうことがある。

たとえるなら、道をふさいでいる邪魔な岩を割りたいと思い、素手で殴り続けて手がボロボロになっている状態を想像してほしい。厄介なのは、いまの社会では修行を何十年も続け、素手で岩を割れてしまう先輩がいてしまっている点だ。そして彼らは「努力すれば素手で岩を割れる。割れないのは君の努力が足りないせいだ。大丈夫、俺もできたんだから、君もできる!」と叱咤激励してくる。

このような環境にいると視野が狭くなり「素手で岩も割ることができない自分は社会の役に立てない人間なんだ」と考えるようになってしまう。

違う。本質は”道をふさいでいる岩を排除すること”であって、”素手で岩を割れるようになること”ではない。誰か早くハンマーを持ってこい。

「ハンマー」というツールで、誰でも簡単に岩を割ることができると知っていれば、その人は自分の力で岩を割って先に進むことができる。それに無力感にさいなまれることもない。

テクノロジーとは、まさにこのハンマーのことだ。人間の行動と選択肢を広げてくれるツールだ。

これはなにも、目で見えるものだけを指しているわけではない。たとえばインターネットやSNSといったデジタルテクノロジーも「これまで個人ができなかったこと」をどんどんと覆し、個人の可能性を広げ続けている。肉体が歳や病気で衰えても、テクノロジーが、「できない」を再び「できる」に変えてくれる。

本書ではたびたび《障害》という言葉が出るが、私が使う《障害》とは「やりたいのにできないハードル」の事を言っている。

障害というと、たとえば眼が見えないこと、身長が低いこと、声が出せないこと、歩けないことなど多くの人が身体性や病気を連想すると思うが、それだけではない。《障害》は「自分がやりたいと思ったことの実現を阻むハードル」全般を指す。

私たちは誰もが障害を持っている。

たとえば、友人の結婚式に招かれたが、海外で仕事をしているので参加できないケースは「物理的距離」という障害を持っているということになる。行きたいのに行けないなら、その状態は身体的な障害を持っているのとなにも変わらない。

人々は知らないうちに、多くのことに対して「それは無理だろう」「世の中、そんなもんだよ」などと考えてしまう。しかし、OriHimeを使えば寝たきりの人が地球の裏側の結婚式に参加して写真を撮り、プレゼントを手渡すことも、その様子の絵を唯一動く眼だけで描いてネットに投稿し多くの人に拍手をもらうこともできる。そうしたことが、キッチンで火を使うくらい日常になっている人たちがすでにいるのだ。


◆人とテクノロジーがなめらかに融合する世界へ

本書のタイトルは「サイボーグ時代」。テクノロジーを日常生活にうまく取り入れることで、いままでできなかったことを可能にし、これまでの”当たり前”を更新し続ける時代。今年できなかったことが、来年にはできるようになる時代を我々は歩いている。

この本を読み終えるころには、あなたは思考のかせを取り外し、目の前の障害は「仕方ないこと、諦めるべきこと」ではなく、「人類あるいは自分がまだ乗り越え方を知らないハードルに過ぎない」と考えられるようになっているだろう。

大切なことは、テクノロジーそのものではない。「本当に大切なもの、自分がやりたいことはなにか?」を考え、それに役立つ適切なツールを見つけて生活の一部に取り入れ、場合によっては自分で工夫して生み出し、自分にとって”当たり前”としていく心構えだ。

サイボーグ化とは、「これがやりたい」という人の意思に基づき、テクノロジーがその人の能力となり生活、人生となめらかに融合することである。

テクノロジーに対して「原理がわからない」と忌避する人もいるが、それをいうなら、私たちの手足や脳だってどうやって動いているのかわかっていないし、意識がどうやって誕生したかもよくわかっていない。しかし、私たちは毎日それを使っている。

仕組みを理解していなくとも、周囲を見ることができる眼から、岩を割るハンマー、高速移動する自動車、そしてインターネットまで、これらの道具を使い慣れた自分の一部とみなし、操ることができる。それが人間という拡張生物だ。

すでに私たちはスマートフォンを通じてつねにネットに接続し、世界中の知識やツールを自分の一部のように使いこなす。わからないことは30秒もあれば調べられ、遠く離れた家族や友人と連絡をとり、SNSで知らない人たちと交流し、学んだことのない言語同士でチャットできるようになった。

この本を通じてて、私はそんな進化し続ける新しい時代と、そこでの生き方の指針を示したつもりである。本書があなたをアップデートし、あなたの「諦め」を削り、「できる」を拡張し、死ぬまで人生を謳歌する一助になれれば幸いである。

(著 吉藤オリィ)

  • 2018/12/31 13:45

    「プロローグだけでは、この本の内容がわかりにくい」という貴重なご意見をいただきました!そのため、本書の「もくじ」も公開します!サイボーグ時代 ~リアルとネットが融合する世界でやりたいことを実現する人生の戦略~もくじプロローグ テクノロジーとはなにか?第1章 サイボーグ的な生き方超・多様性許容社...

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