2020/03/03 01:14

こんにちは!東京シューレです!
いよいよ開校する東京シューレ江戸川小学校。そこでおこなわれる「子ども中心」の学びや遊びの可能性について、いつも東京シューレの活動を応援してくださっている汐見稔幸さん(教育学者・東京大学名誉教授)が理事長・奥地圭子と対談しました!
汐見さんの目から、現在の子どもの教育を取り巻く環境はどう映っているのでしょうか?
「フリースクールが運営する学校」が持つ豊かな可能性についても語っていただきました!

■学校の主人公は子ども

汐見:シューレの葛飾中学校が出来た時、新しい時代の始まりを感じたのですが、今度は小学校。素晴らしいですね。

ところで、韓国のソウル市に、不登校の子どもが通うフリースクールがたくさん集まるハジャセンターがありますよね。訪ねてみて驚いたのですが、資金は基本的にソウル市が出しているんですね。韓国は日本に学んで取り組み始めたのに、2022年度までには全ての小中高の給食が無料でかつ有機無農薬の食材になるなど、非常に進んでいる。今や日本の方が周回遅れの感がありますね。

韓国には、「不登校の子どもたちは学校に合わないだけで、国の大事な人材なのだから、学べる場所を公的資金で運営するのは当然だ」という意識があるんですよね。その論理は日本でも同じはずなのに、学ぶ権利が保障されず、子どもたちに元気がない。残念ながら日本社会は、不登校の子どもも社会から見たら大事な人材だということに気付いていません。

 奥地:ハジャセンターは90年代の終わり頃、東京シューレに見学に来ましたが、公的資金が出ることになってから日本を追い越しましたね。本当に、日本の不登校の子どもは傷ついていて、小学生が「ボク死にたい」って言うんですよ。それで、そんな子どもたちが安心して学べるよう「必要なものを作っちゃおう!」と、1985年、シューレを発足させたんです。シューレでは子どもがやりたいことをかなえられるよう、子ども中心で進めていますが、子どもたちが見事に元気になり、個性を伸ばし、自立していくんですよね。これを学校教育の中で出来ないものか、と汐見さんにもご協力いただいて2007年に中学校を作りました。「この学校に出会えてよかった」「安心出来た」と話してくれる子どもたちを見て、本当に良かったと思っています。

でも次に気になったのが、小学生の不登校の急増でした。たくさんの親御さんが悩んでいらして、「学校でなくてもいいか」という意識の広がりもあり、学校以外の選択肢を求める声や「シューレ中のような小学校を」という声が届くようになったんですね。それでチャンスを伺っていたところ、江戸川区のご協力が得られ、小学校開校の運びとなりました。

 汐見:小学生の兆候といえば、1995年頃から学級崩壊が目立つようになりましたね。日本教育学会で委員会を作って、僕が責任者になって調査をしたのですが、「こんな学校はやめてくれ」という子どもたちのサインではないか、というのが僕の結論でした。

というのは、本来子どもというのは地域で群れて遊んで冒険し、自分の可能性を試したり友達を作ったりするのですが、90年代からそうしたことが全く出来なくなっていますよね。幼稚園や保育園で年齢別に指示されて、小学校に上がったらさらに「じっと座って聞いていなさい」と管理される。年齢別の集団なんて、管理のしやすさこそあれ社会に出たらどこにも存在しない。自分のやることを自分で決めたいし、どうやるか自分で考えたいという主体性を持つ子どもたちが、「何か違うぞ」と感じたのではないでしょうか。
席の並びも、日本の学校はきれいに先生の方を向いていますが、例えばオックスフォード大学ではコの字型の中心に先生が居る。そうすると、先生は全員を見やすいし議論もし合えるんですよね。そんなところにも違和感を覚えるのかもしれません。
そこで思うのは、フリースクールの増加が学校を変えていく機運を作ってくれるのではないかと。子ども中心のカリキュラムには、教師にも親にも不安が強いですが、元小学校教諭である奥地さん、経験的にいかがですか。

 奥地:教師仲間にシューレの話をすると、「それはフリースクールだから出来るのよ」などと言われますが、そもそも学校の主人公は子どもでしょう。学校でも子どもの「これがやりたい。このペースでやりたい」を叶えて当然だと思うんですよね。それで、幸い学習指導要領が緩和されたので、葛飾中学校ではフリースクールの中身を取り入れることが可能になりました。

シューレ中の修学旅行は、行き先や内容はもちろん、行くか行かないかから子どもたちで決めています。卒業式や文化祭といった学校の枠の中の行事も、「席の並べ方をどうしよう」など、内容は子どもたちで試行錯誤しながら決めている。その中で将棋が好き、馬が好き、料理が好き、と、自分の個性や得意なことを見つけて伸ばし、それぞれを生かした職業に就いています。

子どもの不登校で苦悩して心中まで考えた親御さんが「子どもを受け入れてやりたいことを伸ばしていくと、こんなにも表情が明るくなって、ハッピーですね」っておっしゃった。そんなハッピーな子どもたちをもっと育てたくて、小学校開校に至りました。小学校なら、遊びから学ぶようなことも出来そうで、楽しみです。

■子どもたちが学んだり遊んだり成長する“子どもの城”にしたい

奥地:遊びはとても大事だと思うのですが、今の日本の子どもたちには足りないように感じます。汐見さんはいろいろな所で遊びのことをお話されていますが、いかがですか。

汐見:子どもは遊びから自然に学ぶものなので、僕の中には遊びと学びの境界はないです。赤ちゃんは大人の真似をして学ぶ。言葉の成り立ちも、真似ることを「まねび」と言って、そこから「まなび」が生まれた訳ですからね。

ある保育園での例ですが、一人の子が砂浜で磁石を引きずったら砂鉄がついた。昔はこれで刀や手裏剣を作ったと教わり、「僕らも作りたい!」となり、みんなで近所の鉄工所や博物館で鉄の作り方を教わって、半年かけてついに鉄の塊を作ったんですよ!遊びだけど、立派な科学であり、技術の学びですよね。紙飛行機にしても、もっとこうしたら飛ぶんじゃないかとアイディアを出し合ったり本を調べたりするうちに、飛行機にものすごく詳しくなるんですよね。中には、将来航空会社に勤める子も出てくるんじゃないかな。

一人の遊びがみんなに共有されると、研究(スタディ)が始まる。本当に好きなことを遊びから始めて、面白いことをより面白くしたくて共同で研究して…と進んでいくのが本当の学びだと思うんです。そうしたら、大企業で上から指示されたことをこなす人生ではなく、本当に好きなことを仕事にする若者が増えるでしょうね。かつてあった職人社会が、もう一度作れるのではないか。かつての日本には職人がたくさん居て、タンスを一つ一つお客さんと相談して作っていたのが、明治のある時期に流通資本が出来たために同じ型のものを大量生産するようになった。すると、お金は入るけど使い手の顔は見えないし、修理してあげたくても出来ない。工場が出来たら職工として雇われますが、上司のいいなりなので職人は生きがいを失ってしまうんです。これ、幸田露伴の『五重塔』のテーマにもなっていますね。僕は、日本が短期間で近代化したのは、こうした職人さんたちのお陰だと思っています。トヨタもホンダも、自らの情熱を形にする職人さんが始めた会社です。それが大企業化して、事務仕事しか出来ない人が増えてきてから、日本はおかしくなったのではないか。本来、人間というのは「こういうモノを作りたい!」と自分なりのこだわりでモノづくりをしたいもので、そのプロである職人さんたちの仕事で成り立つものです。そうしたら、大企業なんて要らないんですよね。自分たちのやりたいことを仕事にして、それで食べていける社会に戻した方が、絶対に自然でいいと思いますね。

 奥地:子どもたちってモノを作るのが本当に好きで、作りながら考えますよね。シューレでも、鉄道好きな子たちで50人位乗せられる機関車を作ったことがありますが、その過程で必要に迫られて設計図を書いたりサインコサインを勉強したり、溶接したりしていました。大きな学びになっていましたね。

 汐見:それこそが本当の学びですよね。やりたいことのためにどうしても勉強しなきゃいけないことは、あっという間に身に付きます。なぜ必要なのかわからずに勉強すると、すぐに忘れますよね。

奥地:今回お借りする江戸川の廃校には、そんな学びのきっかけになるものがたくさんあるんですよ。まず、1200度出る窯があるので、焼き物ができる。小学生なので、ユニークなものを作るでしょうね。また、川の傍なので、上流を遡って探検したり、地図を貼り合わせて辿ってみたり出来る。動物も飼えるし、面白いことがいろいろ出来そうな地域なので、ワクワクしています。

 汐見:興味あるから面白くてやることを全て「遊び」といいますが、そういう意味で、本来の学びは“遊び的”でなければならない。それが形を成しているのが、フリースクールだと思う。「イエナプラン」のように、「東京シューレプラン」というのを作ったらどうでしょう(笑)。

 奥地:「東京シューレプラン」を作るとしたら、それは「子ども発」という意味になりますね。子どものその時その時の「やってみたい」を叶える!

子どもって、やってみて出来るようになるとつまらなくなって、面白がりたいのでルールを変えたりしますよね。いかに面白くするか、いつも頭を働かせている。

 汐見:遊びというのは、面白くないと続きませんからね(笑)。面白さって一つのエネルギー源ですよね。面白いから思い切り遊び、もっと面白がりたいから必死になって頭を使う。時には勉強や相談もしなければいけない。子どもにとっては真剣勝負です。そういう意味で、今度の小学校が「学びは遊びです」という学校になったら素晴らしいと思います。

 奥地:そうですね。子どもたちが学んだり遊んだり議論したり、時には喧嘩もしながら成長する“子どもの城”にしたいです。中学校の子どもたちにどんな小学校がいいか聞いたところ、「チャイムがない方がいい」「私服がいい」「ターザンロープを付けたい」など意見をもらったので、そんな楽しい学校にしたいですね。

■自分で自分の傷を癒せるようにしたい

奥地:ただ、「学校」という枠であることの難しさも感じています。入学の条件が不登校であること、これは問題だと思うんです。その基礎には、「一般の学校では難しい子だから、柔軟なカリキュラムの場所でいいですよ」という考え方があって、この意識は変えていきたい。不登校になった子は、ただでさえ学校に行けなくなったことで傷を負っていることが多いのに、社会の意識がそれではますます傷が深くなります。彼らの多くは、ご家庭や社会の考え方も投影して自己肯定感が低いので、これをどう育んでいくかが課題ですね。

 汐見:大人がどうこう言うよりは、子ども同士で話をさせる方が早いですね。「ボクと同じだね」「あの先輩もそうだったみたいよ」などと話すことで傷が癒える。なので、上手に語り合える時間、環境を作ってあげるといいかもしれませんね。そうして、自分で自分の傷を癒せるようにしたいですね。

 奥地:そうですね。自己否定感いっぱいで入ってきた子も、「ボクはあれが許せなかったんだ」「もっとこうしたかったんだ」などと自分自身のとらえなおしが出来ると、前を向けますね。視野が広がり、やりたいことを意欲的に始める。そんな子どもたちを見ていると、不登校は新しい歴史を作るのに必要だったのでは、と感じますね。

 汐見:新しいものを創るのは、いつも古い枠の中で苦しむ人ですよね。「不登校の子どもたちは、既成秩序に収まり切れなかったけれども、そこを乗り越えたら面白いことをやり始めた。そういう人の集団だ」と認識されるようになったらいいですよね。なので、江戸川の小学校も上手に発信できるといい。「この学校の子どもたちが面白いことを始めて、生き生きと育っている」というふうに。そうしたら、「こういう学校も必要で、選べるといい」とか「不登校でなくても入れるようにしたい」という機運になってくるのでは。5年後10年後に、「ここは新しい人材をどんどん輩出している学校の一つだ」と知ってもらえるように、戦略的な発信をすることが大事だと思います。

■ホームエデュケーションと地域

 奥地:葛飾中学校には、恐らく他の中学にはないホームエデュケーションクラスというのがあります。今の日本社会には、「家に居る子はダメな子だ」という認識がありますが、家も立派な育ちの場なんですよね。ホームスクールホームといって、担任が居て、「これが知りたい」と登校して来たり、スポーツやお出かけ企画などやろうということになったら集まったり。通う形だけではなく、在宅が合う子どももいるので、日本でももっと肯定的に見てもらえたら嬉しいですね。諸外国では広く認められていますよね。

 汐見:エジソンもホームエデュケーションで育ちましたよね。そういう学び方が合う子も居るんだと認められる社会の方が、はるかに豊かな気がしますね。

地域のおじさんおばさんにも学べますよね。僕は近所の大工のおじさんや職人さんの仕事を見ているのが好きな子どもだったんですよ。小学校に上がる前に既に大工道具をそろえて、いろんなものを作っていました。「あんなおじさん、格好いいな」と憧れていたので、自分が将来サラリーマンになるイメージは全く抱けなかった。どんな大人になりたいか、夢を描くことにもつながるので、学校がそんな格好いいおじさんおばさんに出会える場だといいですよね。料理の好きなおばさんとか、将棋や囲碁の好きなおじさんとか。おじさんおばさんの側にも、子どもに出会って伝えることに喜びを感じてもらえるのでは。「世の中で一番大事な仕事は教師ではないか」と思ってくれるおじさんおばさんが増えるといいですよね。そんな社会作りに貢献する学校というのもいいですね。

奥地:そうですね。地域との関係は大事ですよね。今回の小学校の地域は、廃校をどう使うか他にも選択肢がある中で、「子どもたちの声がよみがえるのはいいよね」と、学校にすることに温かかった。本当に有り難いです。川の傍でもあるので、防災拠点としての役割もしっかり果たして、地域との連携で愛される学校にしていきたいです。

■「遊びをもっと面白くしていこう」と子どもは一気に成長する

奥地:ところで、地域といえばやはり大事なのが保護者だと思うんですよね。保護者の皆さんが子どもさんをどんな眼差しで見ているか、というのがとても大事だと思うのですが、いかがでしょう。

汐見:親が授業をしてくれる時間を設けるといいですね。僕が出入りしている小学校では親にも授業をしてもらっていて、その理由を担任教師に聞いてみたんです。そうしたら、「人間は専門性があって本物だと思ったときに感動するものなのに、教師には専門性がない。が、親はみな何かの専門家だ」と言うんです。蕎麦屋のご主人に、国産と輸入のそば粉でそれぞれ作った蕎麦を振る舞ってもらったら、「ボク、蕎麦屋さんになる!」と叫んだ子が居たんですって。弁護士の親御さんにはオウム真理教の事件のことを話してもらったそうです。そうやって、子どもたちは教師からだけでは得られない学びを得る。そんなふうに「授業にも参加出来る学校ですよ」と打ち出すのもいいですよね。

 奥地:本当に、親御さんのご理解とご協力は大事ですよね。今の子どもたちは教え込まれる量が多く忙しいので、宿題のない学校にしたいのですが、親御さんからはそれでは不安だという声がきっと上がると思うんです。でも、不安で何かやらせたくなることが子どもへのプレッシャーになるので、理解を広げたいところですね。幼児の段階での親御さんとの関わりは、いかがですか。

 汐見:親御さんのスタンスが変わってきていて、“いい教育”をしてくれているか監視したいという意識がありますね。保育園で、子どものカバンにICレコーダーを仕込んで録音し、「こんなところで怒鳴るのは問題だ!」と言って証拠として突き付けてきたり。親御さんと一緒に子どもを育てるという時代ではなくなってきましたね。

それから、なかなか理解してもらえないのが、遊びをもっと面白くしていこうとするときに子どもは一気に成長するのであって、それが本当の教育なのだ、ということですね。机に座らせて勉強させるのがいい、厳しい課題を頑張ってやり抜くのがいい、と信じる親御さんがいまだに多い。結果を重視する風潮がありますが、子どもは過程で生き生きしたり成長するものなので、最近はプロセスの大切さを伝える工夫をしています。子どもの表情の変化を写真で記録して、「この間まで見せなかった表情なんですよ。何々君の成長に、バンザイ!」と書いたり、「隣の子が上手くできないのを手伝ってあげていましたよ」と書いたりしたドキュメンテーションを毎日送るなどしています。長く続けていると、何が出来る出来ないではなくプロセスが大事なんだとわかって下さるお母さんも増えてきました。どう親御さんに伝えるか、研究していきたいですね。

 奥地:シューレには「親の会」がありますが、これは不登校で親が悩んで孤立すると子どもも辛いので、親同士をつなげたくて始めたんですね。自分の悩みを話したり、他の親子の例を参考にしたりしていただきたくて。その様子を見ていると、子どもの不登校が親御さんを変えていると感じます。子どもの不登校を受け入れられなくてあたふたしていた親御さんが、「親の会」を通して心から受け入れると、子どもとの関係も変わるんですね。「前はこんなことなかったのに、最近は子どもから話しかけてくれます」とか。

「そういえばうちも、こんな変化がありました」なんて共感し合ったりされています。テストがどうとか進学が心配だとか話していた方が、子どもの小さな成長に気付いて喜ぶようになるんですよね。親の意識は本当に大事なので、「親の会」は大きな役割を果たしてきているな、と感じます。

新しい小学校でも、親御さんとスタッフで信頼関係を築いて、子どもとの三者で作ってまいりますので、汐見さん今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 汐見:こちらこそ!楽しみにしています。