はじめまして。

杉原由美子と申します。島根県の離島、隠岐の島町にある久見(くみ)という集落で暮らしています。

今、76歳です。

この年でクラウドファンディングに挑戦しようと思ったのは、若い方に知ってもらいたいことがあるからです。

お読みいただけたら幸いです。


2013年から、竹島のことを知ってもらうために、絵本「メチのいた島」を読み語る活動をしてきました。

2020年4月には、77歳になります。今が、私に出来る最後の挑戦だと思いました。

ここに至るまでの経緯を、以下に綴ります。


絵本「メチのいた島」を出版~当たり前だった竹島での暮らしを伝えるために~

メチって、知っていますか?

ニホンアシカのことです。

昭和10年前後、私の故郷である島根県隠岐の島町の久見では、夏になると河口にメチが10頭あまり放たれていました。

久見の子どもたちにとって、メチの子どもは友達でもあったのです。

そのメチがいた場所が、竹島です。

韓国との領土問題になっている、竹島です。

アワビやサザエ、海藻も獲っていましたが、主に行っていたのがアシカ漁でした。


祖父である八幡長四郎は、1949年(昭和24年)に亡くなった時、「竹島の漁業が再び日本人の手に返る時が来たなら、必ず残る者の手で竹島を乱獲から守るため漁業権を獲得してもらいたい」という遺言を残しました。

そして、その遺言を受け、私の叔父にあたる橋岡忠重が、島根県に対してアシカ漁復活の嘆願書を出しています。

しかし現在も、竹島は私たちにとって「行ってはいけない、近付いてもいけない島」のままです。


久見地区にとって、竹島は生活の糧を得る大切な島でした。

昭和の初期に生まれた少年少女たちの持っている竹島への想い、竹島を恵み豊かな漁場として仕事をしてきた先人の想いを、黙って見過ごせません。

祖父や叔父たちの、竹島への強い想いを語り伝えていかなければ。

今の私にできることは何なのか。

そう考えて、当時久見地区にあった当たり前の暮らし、竹島との関係を伝える絵本「メチのいた島」を出版しました。

2013年に自費出版後、2014年には山陰中央新報社から出版されました。


絵本の読み語る活動~より広く知ってもらうために~

絵本発売後は、小中学生の子どもたち向けに読み語る活動も始めました。

その時代の生きる方法として、竹島に漁に行ったという歴史を、子どもたちに伝えないといけない、自分が言って読み語ることが歴史を伝えることになる、と信じているからです。


この活動の中で、たくさんの子どもたちからメッセージをもらい、その数は1,000枚以上になりました。

地元の小学校2年生の子は、「ぼくはメチといっしょにおよぎたいです。竹島に線がなくなったら、竹島に行ってりょうをしたいです。かん国と日本がなかよくなればいいと思います。」と。

ある中学2年生は、「政治家だけでなく、日本中の人々が考えなければならないと思った」と。

子どもたちからのメッセージが、活動の励みになっています。

また、この読み語る様子を撮った動画がYouTubeにあげられ、現在53,000回以上の再生回数となっています。

こうして、竹島のことを「久見から隠岐へ」「隠岐から島根へ」「島根から日本へ」語り伝えたいという夢が叶ったのです。

夢ではなくなったのです。


次の夢は、「日本から世界へ」

そんな中、2014年に1通のお手紙が届きました。

阿部 和子さまという知らないお名前でしたが、なんと、ご厚意で「メチのいた島」の英訳をしていただけるとのこと!

送られてきた英訳ファイルは、当時のキャロライン・ケネディ駐日米国大使へ届けました。


それから5年が経ってしまいました。

もうそんなに生きられない年齢になってしまいました。

だから、英語版の絵本「メチのいた島」を出版しようと決めたのです。

日本には、たくさんのインターナショナルスクールがあるようですので、配布しようと思います。

また、各国の日本大使館や国内の各国大使館、プレスセンター等にも配布します。

再び竹島で安心して漁ができるように、平和的解決ができるように、発信していきます。


そのために、みなさんのお力をお貸しいただきたいのです。

どうぞ、よろしくお願い致します。


波のむこうで

   恵み豊かな島 竹島が

       今日も私たちを待っています。

久見の集落


2008年(65歳)
40年近い東京生活とさよならし、介護のため隠岐へ。

2011年(68歳)
竹島のことを絵本にしようと取材を始める。

2013年(70歳)
絵本「メチのいた島」50部を自費出版。
2月19日 地元、五箇小学校を皮切りに読み聞かせを始める。

2014年(71歳) 
山陰中央新報社より、「メチのいた島」出版。
阿部 和子さまのご厚意で英訳していただいた「メチのいた島」のファイルを当時のキャロライン・ケネディ駐日米国大使へ届ける。
内閣官房領土・主権対策企画調整室より、読み聞かせの様子をYouTubeで公開。(2020年2月17日現在53,696回再生)

2016年(73歳)
内閣官房領土・主権対策企画調整室より、電子版絵本「メチのいた島」を全国の小中学校32,251校に配布。

2019年(76歳)
読み聞かせの活動は、通算80回以上を達成。
英訳絵本を出版すること、クラウドファンディングに挑戦することを決意。


竹島問題で「日本が持つ強力な3つのカード」があります。

①江戸時代、竹島の正確な知識を持って経営し、幕府がそれを認めていたということ。
②明治に入り、日本が竹島領有の意思を示し、他国のクレームなくきちんと支配したという実績。
③サンフランシスコ平和条約の交渉時、韓国の竹島領有の主張を米国が拒否し、日本領として残されたという歴史。


しかし、③の後、サンフランシスコ平和条約の効力が発生する3ヶ月前の1952年(昭和27年)1月18日、韓国の李承晩(りしょうばん)大統領が「海洋主権宣言」を行い、李承晩ラインと呼ばれる海洋境界線を設定しました。

このラインは、ライン内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するもので、竹島はそのライン内に取り込まれたのです。

1965年(昭和40年)、李承晩ラインは消滅したが、竹島の領土権問題は解決されませんでした。

そして2005年(平成17年)、島根県で2月22日を竹島の日と定める条例が成立しました。

島根県が竹島の日を制定した背景には、竹島問題を風化させず、領土権を確立するために広く訴えて国の積極的な取り組みを促したいという願いがあります。

竹島に関する資料を収集し、後世に伝えていくことを目的にしている施設です。無料で入れます。









※スケジュールは前後する可能性もございます。
※読み語る会主催権をお選びいただいた方は、別途スケジュール調整させていただきます。
※出版元の山陰中央新報社より、本プロジェクトの履行および販売許可を得ています。


隠岐の島にとって、竹島は大切な島でした。

すでにのろしは上げました。

平和的解決への土台となる、話し合いの場をどのように作ればよいか。

話し合える関係をどのように作ればよいか。

答えはまだ出ていません。


燃え上がる炎を囲んで、それぞれの国が互いに助け合う仲間として認め合うならば、江戸時代から守り育ててきた竹島は、これからも恵み豊かな島であり続けるに違いない!

いつまでも、恵み豊かな島「竹島」でいてほしい!

メチも戻ってくるし、メチに会える!

そう信じています。


波のむこうで

   恵み豊かな島 竹島が

       今日も私たちを待っています。


※本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2021/01/12 16:54

    活動報告の間があきましたが、本日北は北海道から南は沖縄まで、全国各地のインターナショナルスクールに向けて、絵本「メチのいた島」の英語版・日本語版の発送が完了致しました。94箇所、日本語版と英語版をあわせて600冊近くを発送することが出来ました。これも皆様のご協力あってのこと、大変感謝致しており...

  • 2020/08/06 16:25

    本日、隠岐の島町久見地区にある「久見竹島歴史館」でクラウドファンディングにご寄付頂いた皆様に向けた返礼品の梱包作業を致しました。杉原さんを含めサポートスタッフと有志の方6名で、感謝の心を込めて一つ一つ梱包させて頂きました。明日より順次発送致します。遅くてもお盆前にはお届けできると思いますので、...

  • 2020/08/01 07:18

    31日の午前中に、隠岐の島町の久見竹島歴史館にメチのいた島の英語版が到着しました。杉原さんと久見地区のお母さん方が到着した絵本を開封し、絵本の完成の感動を共有していました。また、その様子を地元新聞社が取材をしてくれました。今後、まずはクラウドファンディングでご寄付を頂いた皆様に向けて返礼品を発...

このプロジェクトの問題報告はこちらよりお問い合わせください